つねちゃんTVの宣伝

面白いです。長いですが。
とくに、ソウルの黒い彗星特派員のレポート(二番目の後半)などが見所です。
日帝本国人さん、いらっしゃーい♪

・「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」啓発ビデオ

番組中ロベスピエール先生が、自分は19世紀から来たとか人権宣言をつくったとかほざいてますが、
ロベスピエールは18世紀中に死んでおり、フランス人権宣言の成立すら見届けておりません。
久々に現世に帰ってきたので混乱してしまったのでしょう。

弔いと生政治

 関西で行われている反原発デモのひとつに、「葬送デモ」なるものがあるらしい。福島において被曝による被害が近い将来多発するであろうことを、「葬送」という形で可視化し、問題提起を行うというコンセプトのデモのようだ。
 このデモについては、ネットを中心に賛否両論が巻き起こっている。批判の中心は、やはりそれが「不謹慎」であるということだ。福島に住んでいる人たちをあたかも棺桶にいれるかのようなデモは、当地の人々を傷つけるのではないか?
 このような批判に対して、主催の一人であるS氏が応答を行っている。
http://nonuke-savelife.tumblr.com/post/12855881354
 この文章でS氏は、葬送デモが不謹慎である可能性、誰かを傷つける可能性があるかといえばあると認めている。しかし、だからといってこの表現はなされるべきではなかったということにはならない。わたしたちは放射能に対して恐怖を抱いていながら、また反原発の活動をしていながら、放射能に対してどこかでもうどうしようもないことだからという諦念を抱いている。その諦念において、いずれ確実に訪れるであろう事態にたいして、直視することを恐れている。しかし、その追認こそが福島の人々を実際に殺すことになるとS氏は説く。

どういうことかというと、自分の家族を助けることはもうできないと、心のどこかで諦めているということです。毎週末のようにあちこちに出かけて反原発の活動をやっていたとしても、そのこと自体が、本当の本当に恐ろしいことから目を背けるための言い訳のようなものになっていて、絶望していない見せかけのままに、心の奥深くのところで絶望してしまっている。これが心底から嫌だったので、自分が一番見たくないと思っていることをきちんと形にして見ておく必要があると考えました。それが葬送デモに参加することにした第一の理由です。

「葬送」という表現において傷ついた人がいたとしても、その向こうで考えるべきことがある。それは、もちろん避難しない人を批判することではない。政府や東電といった権力に対して、避難の権利をうったえ、避難の可能性を模索していくことである、という。

 東電や政府に対して「避難の権利」を認めさせ、その十分な補償を行わせるという結論に対しては、もちろん異論は無い(避難とはまさに「権利」なのだから)。また、誰かが傷ついたとしても直視したくない現実を表現しなければならない、ということもありうると思う。
 しかし一方で、この「葬送」という表現はなされるべきではなかったと私は考える。このデモにおける「葬送」の対象は可能性の未来の子どもたちであり、そのような事態が実際に起こらないために行われるデモなのであろう。だが、(子どもの死、という)可能性の未来をつぶす手段が「避難」なのであれば、このデモは他方で「福島」という場所をも弔っている。未来の子どもの死は可能性にすぎないが、「福島」という「場所」の死は揺らぐことが無い。
 「葬送デモ」にみられるようなこの生命に対する執着と場所に対する無頓着性は、多くの反原発運動にみられる現象である。”「福島」を見捨てて「人」を救う”というスローガンは、とくに反原発を主張するひとたちにおいて、しばしば手放しで賞賛され、受け入れられている。その原則を背景に、瓦礫含む放射性廃棄物の処分場を福島につくれという主張や、福島の農産物はすべて廃棄すべきという主張、ひいては福島を「廃県」にするという主張までなされるのである。
 だが、この原則は、原発事故による被害の問題を「被曝-健康被害」の問題だけに矮小化してしまっているといわざるをえない。原発事故による被害は複合的な被害であり、その中には福島という「場所」の被害も含まれているのだ。なぜ福島という「場所」が被害にあったのか。それはけして偶然ではない*1開沼博を読むまでも無く、それは中央と地方におけるさまざまな構造的な権力関係によっていたのだ。その意味で、被害は3.11以後にはじめて発生したのではなく、3.11以前からあらかじめ予定されていたのである。もし、命さえあれば「場所」はどうでもいいというのであれば、なぜ東京に原発が無かったのか。大阪に原発がなかったのか。わたしたちは最初から被曝してよい「場所」とそうでない「場所」を区別していた。なのに、被曝という事態が起こってから、”その「場所」は死んでしまった。大変悲しいことだ。生まれ育った「場所」なんか捨てて逃げなさい。逃げれないならお金をやろう土地をやろう職場をやろうほら逃げれるでしょ。”というのは、あまりにも欺瞞的にすぎるのではないか。

 11月、福島で女子駅伝を開催することが問題になった。ぼくも別に福島で開催する必要はなかったと思う(毎回ある場所で行われていた競技大会が、何らかの事態により別の場所で行われる、ということはよくあることだから)。だが、東京在住のジャーナリストが福島に乗り込んでコースをガイガーカウンターでかたっぱしからはかっていった、という話を聞いたとき、正直嫌悪感をおぼえた。そのやり方は、先進国の人道主義者が途上国に乗り込んで「ここに抑圧がござい」と一席ぶつ手法にしか見えなかったからだ。もちろんそれは善意からでた行為だろう。だが、その善意は中央から周縁を眺めやるオリエンタリズム的な視線によって成り立っている。その視線には、相対する相手を「他者」としてみなす視点が欠けている。
 未来における子どもの死は、どこの「場所」で生じるのだろうか。私は首都圏に住んでいる。葬送デモは関西だが、大阪という日本で二番目の大都市圏で行われている。大都市という「場所」から、福島(地方)という「場所」を眺めている*2。その「場所」のちがいを無視して、未来における子どもの死を「わたしたちの」子どもの死として弔うことがはたして可能だろうか。大都市圏のひとびとにとって、その子どもの死は別の「場所」において発生する死、すなわち、「他者」の子どもの死なのではないだろうか。
 S氏の文章では、この点について巧妙なすりかえがなされていると思う。S氏自身は福島に家族がいるという(あるいは福島出身なのかもしれない)。そしてその家族の将来の死について考え、家族を助けるための運動を行うこと、それがS氏にとっての葬送デモであった。もちろん、S氏に限らず、自身は大都市圏に住んでいるが家族など身近な人間が福島に住んでいる、という人も多くいるだろう。しかし、家族など少数の人間については断絶ない関係が築きえても、だからといってその人間が福島のひとびと全員とそのような関係を築けるわけではない。大都市圏の人間-地方の人間という構造的な断絶は残ってしまうのだ。
 「他者」の子どもの死を弔うこと、「場所」を弔うこと、もしそれが未来においてありうることであり、その「場所」はすでに死んでいるのだ、ということをあなたが信じるならば、それを主張するのもいいだろう。だが、そのときあなたはその「場所」と敵対したということをはっきりと自覚すべきである。「場所」が客観的に死ぬなどということはありえない。「場所」は人がそう宣言したときに死ぬ。逆に言えば、人が「場所」を殺す。
 葬送デモは福島という「場所」を殺すデモである。だが、死んだ「場所」のあとには何があるのだろうか。その謎めいた空白地帯に住んでいる人びととは?
 たとえば福島廃県という恐るべき事態が発生した未来について考えてもいい。福島という「場所」が消失したとしても、物理的なある面積はのこる。その面積は周辺の各県が、あるいは政府の直轄となるのかもしれないが、とはいえその面積が存在しないと考えてよいということはありえない。当然そのような事態ではすべての人の強制避難ということになるだろうが、収束作業をしている被曝労働者はのこる。また、強制避難となったとしてもなお残る人たちがいる。辺見傭『もの食う人びと』のなかでふれられているように、チェルノブイリにおいても避難をしなかった人、あるいは強制避難区域に戻ってきた人たちがいた。そのような人々は果たしてどのような人々であるのか?存在しない「場所」に住んでいる人は存在しえない。つまりかれらは亡霊ということになるのだろうか。少なくとも人ではない何かとして扱われることになるのではないだろうか。人はその面積の中には存在してはいけないのだから。
 つまりかれらは、アガンベンがいうところのホモ・サケルとなる。それは、「生きているのみ」に切り詰められた人間であり、死ぬがままにされた人間である。そのような剥き出しの生に置かれた人間とそうでない人間を分けるものこそが、「場所」と「場所ではない何か(非-場所)」の境界線なのだ。
 「場所」を弔う(殺す)ということは、究極的にはそこにすんでいる人間を剥き出しの生に追いやることになる。たとえ、主催者の意図が”そこに住んでいる人を非難するわけではない”としても。そしてそれだけではない。まさにそのような生に追いやることによって、われわれ大都市圏の人間は、避難の推奨という人道的介入を行う権利を手に入れるのだ。ジジェクは主張する。

それならば、政治的共同体から除外され、<命あるのみ>のホモ・サケルの権利に引き下げられた<人権>はどうなるのか。非-人間として扱われる、まさに権利のない者の権利となり、役立たなくなったときは>ジャック・ランシエール〔フランスの哲学者・政治学者。1940-〕が重要な弁証法的逆転を提案している。「……用がなくなれば、(…)海外へ送られる。(…)このような過程の結果として<人権>は権利を持たず、残酷な抑圧や生存条件に耐えることを強いられた、剥き出しの人間の権利になる。人道的権利として、それを行使することのできない、権利を絶対的に否定された被害者の権利となるのだ。それでも、無効ではない。政治的な名や政治的な場所が全く空虚となることはなく、誰かまたは何かによって埋められる……もし残酷な抑圧に苦しむ者たちが最終手段である<人権>を行使できないなら、別の者がそれを継承し、彼らの代わりに行使する必要がある。これこそが、犠牲となっている住民を助ける想定で『人道的干渉の権利』と呼ばれ、多くの場合は人道的組織の勧告に反して特定の国々が我が物にしている権利だ。『人道的干渉の権利』とは、一種の『差出人への返送』だといえるかもしれない。不要品として権利を持たざる者へ送られた権利が、差出人へ送り返されるのだから」(スラヴォイ・ジジェク『人権と国家』集英社新書、p165-166)

結局のところ「葬送」デモは、このような中心-周縁の権力関係にもとづいた政治のあらたなバリエーションを形成するにすぎないと思う。
 わたしたち大都市の人間は、福島という「場所」をまず生きている「場所」として認識することが必要なのかもしれない。わたしたちが福島を一方的にまなざしているのではなく、また福島からもわたしたちの「場所」はまなざされている。そして、福島で今おきていることは、わたしたちに対しての訴えでもある。わたしたちは福島に(あるいは日本全国でもいい)何を訴えるかを考える前に、まずわたしたちに対して訴えられていることについて応答できていない、ということを考えるべきだと思う。
 
■参考文献

*1:福島だけでなく東京も関西も被曝しているのであり…という人もいるが、程度の差は明らかにあり、その差こそが本質的なのだ。

*2:もちろん、大都市にもさまざまな「場所」があり、地方にもさまざまな「場所」があるのであり、単純なる二項対立的な図式化はできない。だが、それを理由に「場所」の差異をすべて相対化することもまた出来ない

「反戦と抵抗のフェスタ2011 がんばらないよ!ニッポン」に賛同します

http://d.hatena.ne.jp/KYfesta2011/20111013/1318517161

反戦と抵抗のフェスタ2011 がんばらないよ!ニッポン
 
 お上も下々も、右も左も「がんばろう」?
 「日本はひとつ」じゃない!
 ずっと異常事態だったでしょ?
 3.11にはじまったことじゃない!


日時 11月23日(水・休日) 12時30開場 13時00分開会 20時閉会予定
場所 千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅徒歩10分)
http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/kmkaikan/km_sendagaya.html
資料代 500円


【実行委員会への参加者募集!】
※ お問い合わせは→ war_resisters_fes11 あっとまーく yahoo.co.jp 


《基調よびかけ》

脱原発」「エネシフト」、けっこうもりあがってる。
でも、廃炉になれば一件落着、なのか?
福島で、全国の原発で、
炉を止めるための被爆労働はつづくだろう。
それに狩り出されるのってだれ?
汚染された農家のことはどうするの?
いま福島の原発近隣で被爆をしている人たちは?
首都圏のための原発を福島に置かせた政治・社会構造は?

津波のスペクタクルが日本のマスメディアを埋めつくしていた3月、
リビアでは「民主主義のため」と称して欧米が爆弾を落しはじめていた。
自然が作り出した災厄に日本人は釘づけとなる。
人間が作り出した災厄を日本人は気にもとめない。
それどころか、政府は被災地で自衛隊と米軍の「トモダチ作戦」が実験できて得意顔だ。
しかも「だから沖縄に米軍基地が必要だ」と屁理屈をこねる。
そして大国の利権うずまく新興国南スーダンに日本も出遅れまいとばかり、
憲法違反の海外派兵をまたもや画策する。

なにも変わらない――いや、むしろ悪くなった。
3月11日以後のスローガン「がんばろう日本」。
復興を名目とした国民の総動員だ。
「日本国民は「ひとつ」になって、この難局を乗り切ろう!」
その過程で、ほかのさまざまな問題が置き去りにされる。
権力者は、今まで以上にやりたい放題やっている。

社会運動の側はどうか。
この半年で「原発こわい」からどこまで進んだだろうか。
放射能は差別しないけど、それをつくった人間社会は差別している。
それなのに「脱原発」だけで「国民総被害者」でまとまれればOK?
それ以外のことを言うのはKY?
そういえば「貧困」の問題はどこにいったんだろう。
基地の問題は? 差別の問題は? グローバリズムの問題は?

いまこそあらためて言おう。
ずっと異常事態だったでしょ?
空気読んでる場合じゃない!


《企画内容》

ことしは4つの分科会と全体会をつうじて、「ずっと異常事態」であるこの社会でどんな抵抗をたてなおすべきかを考えます。どの会も、講演のようなかたちではなく、なるべく多くの参加者が意見を表明できるような討論のかたちで準備しています。

反戦】 21世紀の戦争国家・日本 合言葉は「ぜんぶ「反日」のせい」
【反原発】 反原発運動のこれから 「がんばろう日本」じゃないよね
【反グロ・反金融資本】 「お金」に支配されていいのか!
【地方/都市問題】 地方のくいぶち問題と原発

【全体会】 さて、どうする?


反戦と抵抗のフェスタ2011 実行委員会
といあわせ war_resisters_fes11 あっとまーく yahoo.co.jp 
ブログ http://d.hatena.ne.jp/KYfesta2011/

賛同・ブース出展を募集しているようです。
http://d.hatena.ne.jp/KYfesta2011/20111023/1319368347
http://d.hatena.ne.jp/KYfesta2011/20111023/1319368686
 
ぼく自身も、この基調呼びかけの問題意識について共有するものであり、フェスタに賛同したいと思います。
以下のような賛同文を書きました。

 3.11以降やおらあらわれた都市の反原発運動の盛り上がりは、にわかに終息していっているようにみえる。当たり前だ。放射能怖い放射能怖い。あっちで何ミリシーベルト、こっちで何ミリシーベルト。大変だ大変だ行動行動行動……。そんな運動が長続きするはずがない。正直、ぼくもうんざり気味である。いちど立ち止まって、本当に問題なのは何か、ゆっくり考えたい。しかし、そのような違和感を口にしたものは、「危機感が無い奴」ということにされてしまう状況がある。
 おかしくないか?もう「緊急事態」ムードに酔いしれるのはやめよう。「緊急事態」ということばは、どんな悪いことをやっても不問にできる魔法の言葉として歴史的に用いられてきた。そして、放射能だけが「緊急」なのではない。
 3月以降の反原発運動の勢いが鈍りつつあるいまだからこそ、緊急的なものと緊急的でないものを差別的にわけるのをやめて、何が「正しい」事柄なのか、問い直すときだと思う。

告知:8/24(水)かっぺの逆襲@原宿デモ

今日になりましたが、19時半から「かっぺの逆襲」という怪しげな団体が原宿・渋谷でデモを行うそうです。
 
「かっぺ」って何?
デモに来ればわかるはず!(たぶん)
 
以下転載

http://d.hatena.ne.jp/Kappe/20110823/1314075863
日にち:8月24日(水) 
集合:19時00分
デモ出発:19時30分  
JR原宿駅表参道口、改札出て右側(代々木公園方面)・歩道橋の下

共催:かっぺの逆襲、ぶっ通しデモ実行委員会
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ガンバレ東北、ガンバレ日本。そんな言葉が街を飛び交っています。
しかし、中央から地方への押しつけという構造がある限り、
その言葉を現実が裏切り続けることでしょう。

原発を止めることができても、問題はそれでおしまいではありません。
これから先も、私たちは不都合なものを地方(あるいは外国)に押しつけて
暮らすのでしょうか?
原発、廃棄物、基地……もう地方に依存するのはおしまいにしませんか。

押しつけの構造は、声をあげなければ、何も変わっていきません。
今、東京に暮らしているという事実に葛藤しながら、ともに語り、
路上で訴えかけたい。
地方を下敷きにすることで、自分たちの生活を成り立たせている、
そんな仕組みを変えたい。

そんな思いをもつ仲間たちで集まり、アピールする場所を作りたいと思い、
デモを企画しました。
東京出身の方でも、外国人の方でも、趣旨にご賛同頂ける方であれば歓迎。
そして、かっぺよ、集まれ!
ぜひ、一緒に声をあげていきましょう。

 
ひとつだけ注意。
  
 

「かっぱ」ではありません!

過ぎ去ろうとしない無償化除外問題――「月刊イオ9月号」に寄稿させていただきました

 2010年に始まった高校無償化政策は、中井拉致問題担当相(当時)によるやおらの難癖をきっかけに、朝鮮学校を除外するというとんでもない差別をともなってスタートしました。それに対して大きな無償化除外反対運動が行われたにもかかわらず、結局2010年度の高級部3年生は、無償化制度の恩恵を受けられないまま卒業するということになりました。
 朝鮮学校に対する無償化除外は、最初こそ日本の大手マスコミでも取り上げられ、議論をよびましたが、2010年4月に制度がスタートし、除外が既成事実化していくにつれて、日本人社会においては関心が薄れていきました。そして3月11日の震災以降、朝鮮学校に対する無償化除外問題が、日本のマスコミで報道されることは皆無といってよいでしょう。
 無償化問題に限らず、沖縄の米軍基地問題など、いまだに解決がなされていない問題について提起しようとすると、今はそれどころではない復興だ原発オールジャパンだと返されるご時世です。しかし、これら3.11以前からずっとある問題を「過ぎ去った」ものにしてよいはずはありません。どういうことでしょうか?これについては、「月刊イオ9月号」のブロガーズ@ioというコーナーに文章を寄稿させていただいたので、そちらを読んでいただければと思います。ブログのタイトル「過ぎ去ろうとしない過去」の由来と意味について書いています。その中でも書きましたが、加害当事者にとって「過ぎ去ろうとしない過去」は目障りなものですが、被害当事者にとってそれは「過ぎ去るはずがない」ものなのです。
 「月刊イオ」を購読していてもわかるように、朝鮮学校に対する高校無償化除外については、いまなお権利のために戦う人たちがいます。いくら日本人社会がそれについて「過ぎ去った」ものにしたがろうとも、それはけして「過ぎ去らない」だろうと確信しています。
 一方で、いままさに「過ぎ去ろうと」している問題もあります。

 日本国において、外国から来た難民申請者はいっさいの権利剥奪状態にあります。この難民たちも、いっさいの権利を剥奪されたまま、それが回復されることもなく、日本から文字通り去ろうとしています。私は直接の支援者ではありませんが、しかしこの問題――つまり日本がいかに外国人に対して差別をおこなっているかという問題――については、小数の民間支援者だけでは限界があるということを強く実感しました。
 そのようなわけで、この難民たちは日本から離れてしまいますが、一方でいまだ日本で難民申請を行っている人たちもたくさんいます。この問題を「過ぎ去った」ものにしないということが、わたしたち日本人の責任ではないでしょうか。
 この難民たちにとって、第三国への出国は問題の解決を意味しません。ほとんどの問題は解決されていません。上記の支援者のブログでは、少しでも多くのお金をと、カンパを受け付けています。私も小額ですが振り込もうと思いますが、みなさんよろしくお願いします。
 
(原案:つねちゃん 作画:ほくしゅ)

<剥き出しの生>と非常事態

 3月11日の夜、菅直人首相は大震災の発生後、初めての首相会見を開いた。わたしはそれをテレビで見ていたのだが、強烈な違和感をもったことを覚えている。会見の内容自体は、震災直後に首相が発するコメントとしては無難なものだったと思う。問題は、その呼びかけ対象である。かれは、終始「国民」ということばを使っていた。「住民」でも「市民」でも、いろいろ選びようがあったはずなのに、である。少なくとも、東北地方に一人の外国人もいないなんてことはありえない。ぼくはそのうち外国人へのフォローがあるのだろうと見ていたのだが、結局最後までかれは、「国民」に呼びかけるのみで、それ以外のことばは一度も用いられなかった。
 菅首相のコメントに呼応するかのように、次の日からあらゆるマスメディアでは「国民」あるいは「日本」の文字がおどった。東北地方で起きた大震災および津波の被害は、何の留保もなく「(日本)国民の危機」と同一視された。このムードについて多くの人が戦時下を連想させたのは偶然ではない。「がんばろう日本」のスローガンのもと、まさに「国難」に立ち向かうために、「国民」の大動員がはじまったのだった。
 
 福島での原発事故に端を発する反原発運動の拡大は、この「がんばろう日本」の諧調を乱すものであったといえる。事故の実態が明らかになるにつれて、また放射能が目に見えるかたちでわたしたちのもとに迫ってくるにつれて、わたしたちは「恐怖」を実感したのだった。その「恐怖」とは、わたしたちが<剥き出しの生>へと転落したことへの「恐怖」であったのだ。「放射能は誰もサベツしない」というランキン・タクシーの歌詞は、この「恐怖」を正しく象徴している。わたしたちは政治的主体としての「国民」ではなく、いっさいの権力を剥奪された、ただ生きているだけの存在であり、生きるがままに、そして死ぬがままにされている。それはまさに真の意味で根源的な恐怖であり、それが、「国難」への「自粛ムード」に抗して、多くの人が反原発運動へと参加した理由であろう。
 
 だが、<剥き出しの生>への自覚は両義的である。「危機」に対する意識は、「がんばろう日本」の「国難」ムードよりもむしろ高まるのだ。わたしたちは例外状態のなかにいるという自覚のなかで、「決断」への志向が強力になる。すなわち「例外状態に決定を下すのが主権者である」というカール・シュミットのテーゼが浮上する。いっさいの権力が無効化される<剥き出しの生>において逆説的に、強固に結びついた主権的権力の共同体が誕生するのである。
 そのようないわば「生への衝動」において誕生する共同性は、しばしば男性的な、ホモソーシャルな関係性を伴ってたちあらわれる。その意味において、右翼はすでに勝利しているといってもいい。たとえば1916年の西部戦線を、1938年のマドリードを、1940年代の南太平洋を、あるいは1969年の安田講堂を想起してもいいだろう。「危機」の中で、階級的に、政治的に、文化的に、対立しあっていたものが手を結び、団結する。右であれ左であれ、あらゆる運動が最高潮に達したとき得られるカタルシスを、わたしたちは目的それ自体と混同して志向してきたのだ。
 
 しかし、これは誤謬にすぎない。わたしたちは現実に一切の権利喪失状態に陥ったわけではなく、重層的に決定された社会的な権力関係は維持されたままである。全人民の連帯を強調していた新左翼運動のなかで、バリケード内の炊事洗濯が女性に押し付けられていたことは有名である。3.11以後においても、わたしたちすべて(少なくとも日本列島に住んでいたわたしたち)が3.11以前に持っていたあらゆる権力性を剥ぎ取られ、<剥き出しの生>へと追い込まれたというわけではない。「反原発」が(右も左もないだろ!の人が言うように)「非常事態の克服」のための運動であるとするなら、福島以前から「非常事態」はあったということになる。多くの反原発運動は、福島原発の事故への対策および補償の要求を行っている。それは当然のことだと思う。しかし論理的には、反原発の要求と事故対策の要求は切り離しうる。原発を推進しつつ、事故は事故としてしっかりした対応を求めることは可能だし、また脱原発が達成されたとしても放射能は残るからだ。
 なぜ今回の反原発の問題で「非常事態」が叫ばれるのか?それはまさに自分の身に放射能が振りそそいできている事態と、原発の本質的な問題が混同されているからである。もっといえば、原発問題の本質と、「非常事態」は実態として何のかかわりも無い。「非常事態」とは、実体として存在するものではなく、宣言されるものだからである。原発問題の「非常事態」性は、3.11以後、主権的に決定されたのだ。
 
 では、主権者とは誰なのか?非常事態を宣言する者は誰なのか?5月末、新宿で沖縄の普天間基地移設問題と高江ヘリパット建設問題に関するビラを配っていたとき、とおりすがりの人がビラをみて「今はそれどころじゃないだろ。原発問題だろ」とはき捨てた。しかし、「それどころじゃない」のは誰なのだろうか?福島から300kmの東京では、放射能の危険性は確かに高い。しかし、一番近い原発でさえ1000km以上離れている沖縄においてはそうではない。高江や辺野古で昼夜座り込みを行っている人たちにとって、「それどころじゃない」のはどちらなのだろうか?
 また、在日朝鮮人を含む外国人の権利や野宿者の権利は、震災以前から「それどころじゃない」状態に追い込まれていた。朝鮮学校の無償化除外は昨年から続いており、自治体の補助金さえも打ち切られはじめている。入国管理局は地震のさい収容者を部屋に閉じ込め鍵をかけた。被災者への炊き出しに野宿者が並ぶとフリーライダー扱いされる。

■ここに本質がある
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20110627/p1
 つまり、原発事故が起きようが起きまいが、朝鮮学校は国家や社会による排除と差別の暴力にさらされてきたわけであり、事故以後は、その暴力に「放射能」(また、震災のによる被災)という新たな内実が付け加わっただけだと言える。
  同様のことは、福島など原発のある地域に住む人たちについても言える。この人たちは、これまでもずっと国家や社会によって、排除の対象とされ、見えない存在のようにされてきたのだ。平時や事故発生時における危険という、生の重要な現実が、否認されてきたからである。
 この人たちは、その存在を、社会全体の論理のために常に軽視されてきた。
 そしてこうしたことが、原発をめぐる問題の、まったく本質なのだ。

 放射能は誰もサベツせず、あらゆる人に降り注ぐ。したがってわれわれはすべて<剥き出しの生>のなかにありひとつなのだ、という無邪気な発想のなかで、じっさいにはこれまでと変わらず排除されている人々をさらに不可視の存在にしていくのである。放射能はサベツしないが、わたしたちの社会がサベツする限り、原発事故の被害は一様ではない。福島と東京、東京と沖縄、日本人と外国人、健常者と障害者、男性と女性とセクシャルマイノリティ、屋根がある人と無い人…、現にあらゆるところであらゆる排除が行われているときに、「右も左もない。なんでもあり」と誰がいえるだろうか?まして、日本人であり、男性であり、ヤマトであり、和人であり、健常者であるわたしがそれを言っていいのだろうか、という問いが、おそらく日本人であり、男性であり、ヤマトであり、和人であり、健常者であろう人においていっさい存在していないようにみえるのは、大きな問題ではないだろうか。「なんでもあり」で面白がれるのは、またひとつの特権なのだ。
 壱花花さんが描いた「大同団結」のイラストはこの状況の見事な風刺である。
http://18787.main.jp/fuushi.html
いったい、かれの右手と左手はどちらが「非常事態」なのだろうか。右手と左手を「それはそれ、これはこれ」といえるのは、誰なのだろうか。あなたが手を差し伸べるのは「非常事態」だからではない。右手と左手のどちらが「非常事態」か、手を差し伸べられたあなたが主体的に決定しているのである。
 わたしは、手を差し伸べない。
 

6.11新宿中央公園を中心とする経緯の確認

 なぜ針谷氏が登壇すべきでなかったのかについては会のブログ内において何度も詳しく明快に書いてあるので、ここで繰り返し書くことはしません。わかるまで熟読してください。
 ただし、問題意識を共有するしない以前に、経緯の認識が「なんでそうなるの!?」というものばかりで、非生産的な議論を生んでいる原因の一端はそこにあると思うので、関係者のひとりとして経緯にたいする見解をちゃんと書いておきます。
 
 経緯に対する典型的なまちがいは、次のブログにあらわれています。

ヘイトスピーチに反対する会の行動を支持しません
http://d.hatena.ne.jp/fut573/20110619/1308487730

 まず、常野さんの発言もぼくの発言も、会としての声明ではなく、6/9の時点の個人的な声明です。これに問題があると感じたならば、常野あるいは北守を批判すればいい話であって、会とこれらの発言を直接結びつけるのは意味不明です。会の公式声明は別にちゃんと出しているのであって、「ヘイトスピーチに反対する会」を問題にしているのに、なぜそちらを参照しないのでしょうか。
 ぼくがこの事実を知ったのは確か木曜の夜であって、いくつかtwitter上でコメントをしたあと、反ヘイト会のMLに行動の提起をしました。主催者に公開質問を行おうとしたのだけれど、どうせやるなら会としてやったほうが意味があると思ったからです。ま、そこで公開質問だけじゃなくて直接行動もしたいという意見が出たりで、なんやかんや調整した結果、公式の声明*1が出たのは金曜の夜です。
 針谷氏の降板がHP上で発表されたのはそれから30分後くらいだったでしょうか。この時間内で主催者の方針がかわるとはちょっと考えられないので、針谷氏の降板は反ヘイト会が声明を出す前にすでに決定していたと考えるのが妥当です。
 すでに明らかになっているように、針谷氏の登壇を問題視していたのは反ヘイト会のひとたちだけではありませんでした。たとえば園良太さんは主催の一人として反対したことを表明しています。
http://twitter.com/#!/ryota1981/status/81574868679794688
この間、園さんから会に対して何らかの意見があったり、逆に会として彼に何かを求めた事実はもちろんありません。
 また、@ANAFUZZ 氏のツイートをみると、反ヘイト会に必ずしも同調しないメンバーからも今回の件に関して異論が続出していたことがわかります*2。ネットで公的な声明がなくても、主催にスタッフとして関わっていた友人たちに話を聞くと一様に「寝耳に水だった」「会議にかけられていたら反対していた」と述べています。また、針谷氏降板が決定したあとになってはじめて、この事件を知った人さえいます。
 針谷氏降板の理由は、主催者が沈黙している現在(6/20)において確かなことは分かりません。しかし、形式的にさえ合意形成がなされず、HP上でやおら発表されたことに内外から反発が出る中で、針谷氏登壇を決定したひとたちが(おそらく思いつきだったのでしょう)何ら説得力のある説明ができず、降板に至ったと考えるのが妥当でしょう。
 いくつかデモ主催にかかわり、そのプロセスや議論を経験してきた立場からすれば、今回のことはちょっとありえない事態といわざるをえません。デモの事前集会で誰をよぶかはロフトの平野悠氏に丸投げだったと聞いていますが、その平野氏はこんなことを言っています。

http://twitter.com/#!/yu_hirano/status/81299925501095936
今回の一連のデモの計画はヘイスピの主催でもなんでもない。「ロフトと素人の乱」の共同企画なのだ。

反へイトの会ははじめから会として関わっていた事実はないので主催じゃないのは当然ですが、”「ロフトと素人の乱」の共同企画”とはどういうことでしょうか。HPを見ると*3素人の乱の名前はあるものの、”「ロフトと素人の乱」の共同企画”であることについていっさい説明されていません。わたしたちの友人も含め準備段階から主催にかかわっていた人で、「ロフトと素人の乱」両方の関係者ではないひとはたくさんいました。デモの主催者とはふつう準備段階から会議に出席し、スタッフとして関わっていた人をさすのだと思います。まして、ロフトの平野氏のツイートを見ると、彼が事前・事後の会議に出席していたようには思えません。
 デモを一緒につくっていく仲間を軽視し、”「ロフトと素人の乱」の共同企画”だからと唐突に決定されたことに対する内部からの反発を、”左翼が任務を放棄した”と言ってしまうような人物に*4、集会で誰を登壇させるかということを一任させてしまったことが、まずもって問題であったということ。今回の事態をまねいた「直接的な」理由は、そこにつきると思います。こんなのはオートノミーでもシアトル以降でもなく、ただ功名心に走ったバカがいたということにすぎません。
 
 さて、針谷氏降板を知ったぼくは(問題視しておきながら)ちょっとびっくりしましたが、まあそりゃ内部から反発がでないわけがないよなあと思いつつ、まずはこの決定を評価し、当日どうするか改めて話し合いました。もともと、針谷氏が登壇したばあいは離れたところでアピールしつつビラまきをし、降板したばあいはふつうにデモに参加しようってことになっていました。で、今回は後者の立場で行ったわけですが(友人の話も聞きたかったし)、そこで起こったことは会の報告にあるとおりです。まあ、先ほど紹介したブログに反論しておけば、まず日の丸君の登壇自体がサプライズだったこと、そして、会が批判されたことに対して抗議したのではなく、報告にもあるとおり、日の丸を掲げて壇上にあがったことに対して、それからまさに「俺は本当を言うと日の丸も君が代も反対なんだけど、今回だけは日の丸を掲げさせてもらう。そんなふざけた話があるか」というふざけたことを言っていたことに対して抗議したわけです。普段は日の丸に反対ってことは日の丸がいかに悪いかを知っているわけで、にもかかわらず(自分自身のみの意志で)掲げたわけですから、より問題があると言わざるをえません。
 集会がおわったあとは、それぞれ次の予定があるということが分かり、会(有志)としての行動はとりあえずそこで終了しました。数人でデモと並行しつつアルタ前まで向かい、5時くらいにはそれぞれ別の場所に行きました。
 
 公開質問および当日の行動について個人的な見解を書いておくと、この事態を問題化し、直接行動をおこなったことに対していっさい反省はありませんが、当日行ったことについては、柏崎さんのアピールがあったとはいえyoutubeでみるとやはり分かりにくかったと思います*5。サプライズに対するサプライズだったので、ということもありますが、せめてビラは持っていくべきでした。そういう反省はあります。
 大同団結の論理が、自称右翼、自称左翼、自称ノンポリに関係なく、「日本人・男性・健常者」のマチズモによって駆動されているなかで、つまりマジョリティが足を踏み続けたまま「危機」を根拠に足を踏みつけられたマイノリティを強引に包摂していくなかで、それに対する異議申し立てを、また別のマチズモにならないかたちでどう構成していけるのか。そこにおける直接行動や論理の立て方はどのようなものか、そういうことを話あえるならば、ぜひやりたいです。
 ただし、議論は出尽くしているのに、この期に及んでなお針谷氏の登壇そのものが問題と思えない人に対しては、もうどうしようもない気しかしませんがね。

*1:正確には会の声明ではなく有志の声明です。

*2:たとえばhttp://twitter.com/#!/ANAFUZZ/status/80113680599093250

*3:http://611shinjuku.tumblr.com/

*4:スタッフが足りなかったら自分でやればいいことです。平野さんが自ら、デモ隊と車の間に入ってこようとする警察に対して抗議をしてください。

*5:ただまあ、分かりにくさを問題にするなら、スタッフでもないのに自警団っぽくふるまって「キチ○イ」を連呼していたひととか、日の丸君や、彼を煽って壇上にあげた鈴木邦男についても問題にすべきだと思いますけどね!