<剥き出しの生>と非常事態

 3月11日の夜、菅直人首相は大震災の発生後、初めての首相会見を開いた。わたしはそれをテレビで見ていたのだが、強烈な違和感をもったことを覚えている。会見の内容自体は、震災直後に首相が発するコメントとしては無難なものだったと思う。問題は、その呼びかけ対象である。かれは、終始「国民」ということばを使っていた。「住民」でも「市民」でも、いろいろ選びようがあったはずなのに、である。少なくとも、東北地方に一人の外国人もいないなんてことはありえない。ぼくはそのうち外国人へのフォローがあるのだろうと見ていたのだが、結局最後までかれは、「国民」に呼びかけるのみで、それ以外のことばは一度も用いられなかった。
 菅首相のコメントに呼応するかのように、次の日からあらゆるマスメディアでは「国民」あるいは「日本」の文字がおどった。東北地方で起きた大震災および津波の被害は、何の留保もなく「(日本)国民の危機」と同一視された。このムードについて多くの人が戦時下を連想させたのは偶然ではない。「がんばろう日本」のスローガンのもと、まさに「国難」に立ち向かうために、「国民」の大動員がはじまったのだった。
 
 福島での原発事故に端を発する反原発運動の拡大は、この「がんばろう日本」の諧調を乱すものであったといえる。事故の実態が明らかになるにつれて、また放射能が目に見えるかたちでわたしたちのもとに迫ってくるにつれて、わたしたちは「恐怖」を実感したのだった。その「恐怖」とは、わたしたちが<剥き出しの生>へと転落したことへの「恐怖」であったのだ。「放射能は誰もサベツしない」というランキン・タクシーの歌詞は、この「恐怖」を正しく象徴している。わたしたちは政治的主体としての「国民」ではなく、いっさいの権力を剥奪された、ただ生きているだけの存在であり、生きるがままに、そして死ぬがままにされている。それはまさに真の意味で根源的な恐怖であり、それが、「国難」への「自粛ムード」に抗して、多くの人が反原発運動へと参加した理由であろう。
 
 だが、<剥き出しの生>への自覚は両義的である。「危機」に対する意識は、「がんばろう日本」の「国難」ムードよりもむしろ高まるのだ。わたしたちは例外状態のなかにいるという自覚のなかで、「決断」への志向が強力になる。すなわち「例外状態に決定を下すのが主権者である」というカール・シュミットのテーゼが浮上する。いっさいの権力が無効化される<剥き出しの生>において逆説的に、強固に結びついた主権的権力の共同体が誕生するのである。
 そのようないわば「生への衝動」において誕生する共同性は、しばしば男性的な、ホモソーシャルな関係性を伴ってたちあらわれる。その意味において、右翼はすでに勝利しているといってもいい。たとえば1916年の西部戦線を、1938年のマドリードを、1940年代の南太平洋を、あるいは1969年の安田講堂を想起してもいいだろう。「危機」の中で、階級的に、政治的に、文化的に、対立しあっていたものが手を結び、団結する。右であれ左であれ、あらゆる運動が最高潮に達したとき得られるカタルシスを、わたしたちは目的それ自体と混同して志向してきたのだ。
 
 しかし、これは誤謬にすぎない。わたしたちは現実に一切の権利喪失状態に陥ったわけではなく、重層的に決定された社会的な権力関係は維持されたままである。全人民の連帯を強調していた新左翼運動のなかで、バリケード内の炊事洗濯が女性に押し付けられていたことは有名である。3.11以後においても、わたしたちすべて(少なくとも日本列島に住んでいたわたしたち)が3.11以前に持っていたあらゆる権力性を剥ぎ取られ、<剥き出しの生>へと追い込まれたというわけではない。「反原発」が(右も左もないだろ!の人が言うように)「非常事態の克服」のための運動であるとするなら、福島以前から「非常事態」はあったということになる。多くの反原発運動は、福島原発の事故への対策および補償の要求を行っている。それは当然のことだと思う。しかし論理的には、反原発の要求と事故対策の要求は切り離しうる。原発を推進しつつ、事故は事故としてしっかりした対応を求めることは可能だし、また脱原発が達成されたとしても放射能は残るからだ。
 なぜ今回の反原発の問題で「非常事態」が叫ばれるのか?それはまさに自分の身に放射能が振りそそいできている事態と、原発の本質的な問題が混同されているからである。もっといえば、原発問題の本質と、「非常事態」は実態として何のかかわりも無い。「非常事態」とは、実体として存在するものではなく、宣言されるものだからである。原発問題の「非常事態」性は、3.11以後、主権的に決定されたのだ。
 
 では、主権者とは誰なのか?非常事態を宣言する者は誰なのか?5月末、新宿で沖縄の普天間基地移設問題と高江ヘリパット建設問題に関するビラを配っていたとき、とおりすがりの人がビラをみて「今はそれどころじゃないだろ。原発問題だろ」とはき捨てた。しかし、「それどころじゃない」のは誰なのだろうか?福島から300kmの東京では、放射能の危険性は確かに高い。しかし、一番近い原発でさえ1000km以上離れている沖縄においてはそうではない。高江や辺野古で昼夜座り込みを行っている人たちにとって、「それどころじゃない」のはどちらなのだろうか?
 また、在日朝鮮人を含む外国人の権利や野宿者の権利は、震災以前から「それどころじゃない」状態に追い込まれていた。朝鮮学校の無償化除外は昨年から続いており、自治体の補助金さえも打ち切られはじめている。入国管理局は地震のさい収容者を部屋に閉じ込め鍵をかけた。被災者への炊き出しに野宿者が並ぶとフリーライダー扱いされる。

■ここに本質がある
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20110627/p1
 つまり、原発事故が起きようが起きまいが、朝鮮学校は国家や社会による排除と差別の暴力にさらされてきたわけであり、事故以後は、その暴力に「放射能」(また、震災のによる被災)という新たな内実が付け加わっただけだと言える。
  同様のことは、福島など原発のある地域に住む人たちについても言える。この人たちは、これまでもずっと国家や社会によって、排除の対象とされ、見えない存在のようにされてきたのだ。平時や事故発生時における危険という、生の重要な現実が、否認されてきたからである。
 この人たちは、その存在を、社会全体の論理のために常に軽視されてきた。
 そしてこうしたことが、原発をめぐる問題の、まったく本質なのだ。

 放射能は誰もサベツせず、あらゆる人に降り注ぐ。したがってわれわれはすべて<剥き出しの生>のなかにありひとつなのだ、という無邪気な発想のなかで、じっさいにはこれまでと変わらず排除されている人々をさらに不可視の存在にしていくのである。放射能はサベツしないが、わたしたちの社会がサベツする限り、原発事故の被害は一様ではない。福島と東京、東京と沖縄、日本人と外国人、健常者と障害者、男性と女性とセクシャルマイノリティ、屋根がある人と無い人…、現にあらゆるところであらゆる排除が行われているときに、「右も左もない。なんでもあり」と誰がいえるだろうか?まして、日本人であり、男性であり、ヤマトであり、和人であり、健常者であるわたしがそれを言っていいのだろうか、という問いが、おそらく日本人であり、男性であり、ヤマトであり、和人であり、健常者であろう人においていっさい存在していないようにみえるのは、大きな問題ではないだろうか。「なんでもあり」で面白がれるのは、またひとつの特権なのだ。
 壱花花さんが描いた「大同団結」のイラストはこの状況の見事な風刺である。
http://18787.main.jp/fuushi.html
いったい、かれの右手と左手はどちらが「非常事態」なのだろうか。右手と左手を「それはそれ、これはこれ」といえるのは、誰なのだろうか。あなたが手を差し伸べるのは「非常事態」だからではない。右手と左手のどちらが「非常事態」か、手を差し伸べられたあなたが主体的に決定しているのである。
 わたしは、手を差し伸べない。