幅広い人間がさまざまな観点から成果をあげることができるというのは、歴史学のいいところではあると思うのだけど、逆にいえば、それだけ参入しやすく、ちょっとかじっただけで「わかった気になれる」学問であるのも確かだと思う。「歴史に詳しいというので、よくよく話を聞いてみたらただの光栄ゲーオタだった(いや、光栄ゲーは漏れも好きだけどさ)」というのはよくある一笑に付されるべきバカ話なわけだけれど、それが例えば司馬遼太郎オタだった場合、笑って済ませられるか。いや、確かに最近では「司馬史観」の怪しさは世間的にもそれなりに感づかれているかもしれない。しかし、塩野七生に関してはどうか?個人的には、アントニオ・ダ・カナーレがその白熊のような戦闘服を自身の血で真っ赤に染めて倒れていくシーンに萌えることが、歴史を理解することではないような気がするのだが。