http://noz.hp.infoseek.co.jp/diary/20040302.html
>西歐人と日本人との比較の是非とは何の關係もない。
単純に「自己主張する/しない」でみると、「中国人」「西欧人」は自己主張して「日本人」は自己主張しないと言うことができるとする。なぜこのような差が生じるのかを考えるとき、中国と西欧にまたがる文化的同質性と日本との差異という論点も導くことが可能であり、したがって「自己主張する/しない」という問題を、「日本」と「西欧」の習慣の差という個別的問題に落とし込むことは自明とはいえなくなる。
なんでイタリアやスペインが出て來るかな。ピレネーの西側はヨーロッパではない、なんて説もあるくらゐで、スペインは西歐の文化圈の代表ではない。(等と言ふと、糞眞面目に北守將軍は反應するのだらうが、スペインにセルバンテスがゐてオルテガがゐた事も私は知つてゐる)イタリアは、近世以降、西歐の中では後進地域の側に入つてゐる。西歐の文明の中心地と言つたら、矢張り産業革命の起つたイギリスだらう。イギリスの地位はアメリカが引繼いでゐる。フランスでは革命が起きて王制が倒れ、ドイツでは革命で帝政が崩れなかつた。段々、東に行くと後進地域になつて來る。同じドイツの中の東西の地域ですら、近世まで、樣々な格差があつた事は、林氏の初期の論文を讀めばわかる。同じヨーロッパでも、その中には地域毎に差異がある。それは十分承知してゐる。そして、さう云ふ地域性の違ひが、役割分擔を行つた事も知つてゐる。自由主義や民主主義は、先進地域であつたイギリスでは現實のものとして、後進地域であつたドイツでは觀念として、發達した。しかし、少くとも、自由主義・民主主義と言つた觀念が、ヨーロッパでは近世以來、何らかの形で意識され、身近で實踐されてゐた、と云ふ事は、認めて良い事實である筈だ。西歐において、近代的な觀念は、單なる觀念ではなく、傳統として根附いてゐた、と言ふのは、その意味で、だ。
意味わからん。何を読んでそう思ったのかは知らないけれど、とりあえず本のイイタイコトを理解してないせいで、諸概念の混乱が起こっているような気が。たとえば、多分その「林氏の初期の論文」にはグーツヘルシャフトという言葉がでてきたと思うけど、東大の前期の世界史ではないけど、グートツヘルシャフトは今では世界システム論の理論をと関連付けられて論じられるのが一般的です。林健太郎氏も直接的にではないけれどやはり何らかの「世界システム論」的な経済連関を念頭においてグーツヘルシャフトを論じていたと思うし、「同じヨーロッパでも、その中には地域毎に差異がある。それは十分承知してゐる。そして、さう云ふ地域性の違ひが、役割分擔を行つた事も知つてゐる。」という記述も何か近代世界システムを論じたものを読んで書いたのではないかという気がする。ただ、野嵜さんは「近代文明」と「西欧文明」を一緒くたにして考えているんだよなあ。「西歐の文明の中心地と言つたら、矢張り産業革命の起つたイギリスだらう。」いいから近藤和彦著「文明の表象イギリス」でも嫁という感じだが。
結局、どうしても野嵜さんの言う「西欧」が良くわかんないんだよなあ。