ドイツ特有の道

「ドイツ特有の道」論の問題は、イギリスやフランスなどの近代化モデルを「正常な」ものとして無批判に受容し、その地点からドイツはいかにずれているかということに、歴史認識を偏らせることにあった。イギリスの歴史家ブラックバーンとイリーは、 『現代歴史叙述の神話 ―― ドイツとイギリス』 でこの傾向を、「ドイツの歴史学は『実際はどうでなかったのか』を研究する学問と化している」と、ランケの有名な文句を逆転させた挑発的な批判を行っている。各国の近代化過程を構造的に比較し、理解していくことが悪いのではない。実際には存在しなかったものを「手に入れられたはずのもの」として神聖化してしまうことが問題なのである。理論が実証に先行し、教条的であるという謗りを免れえなくなる。
一方「ドイツ特有な道」批判も、1945年以前の反議会主義・民主主義的体制を擁護したい保守派の立場を正当化するロジック―結局、裏返しの「特有な道」論―に転化しかねず、注意しなければならない。実際、ブラックバーンとイリーの研究もしばしば歴史主義的立場と混同されている。確かにドイツの近代化過程をとりあえずそれ自体として分析しようとする彼らの姿勢は、国ごとの個別的な歴史を信じ、比較史を嫌う歴史主義者のそれと似通って見える。ブラックバーンもイリーもけして比較史それ自体を否定したのではなく、まずは実証的な研究が土台になければならないという、ごく当たり前の主張をしたに過ぎないのだが。