「日常」で、「利己的」で、でも「全体主義」

ナチズムの経験に学ぶべきは、全体主義を生むような、民衆の「非日常」へ向かう熱狂性についてではなく、全体主義が持つ「日常」的性格なのではないかと思う。1929年の大恐慌に伴う大失業時代という「非日常」を、ナチズムは収拾した。1920年代の相対的安定期と呼ばれる時代でさえ失業率は常に10%を下らなかったのが、ナチズム時代には完全雇用が達成されているのである。そのような点から、その時代を経験したドイツ人のは1930年代をそれまでに比べて比較的安定した時代と捉える傾向が強い。彼らにとって、その時代は徹底的に日常だったのだ。
ナチズムの成功を政治のスペクタクル化に求めすぎると、こうした点は見落とされてしまう。ナチ体制が安定しえた理由は、俳優ヒトラーと演出家ゲッペルスに、ではなくて、むしろ当時のドイツ社会の構造に目を向けるべきであって、その中でのスペクタクル政治の意義を考えるべきである、と言う批判は、ビーレフェルト学派らによって長らく主張されてきている。
様々な研究から察するに、どうもワイマール期からナチ時代を通じてのドイツ社会(いや、もっと前からかもしれないし、ドイツ「だけ」に限ったことではないのかもしれない)の特徴は、民衆の政治的利害が全く統合されていないこと、正確に言えば政治的利害を統合する装置の欠如であるように思われる。これは、ヴェーラーが述べるところの「官僚社会」と通じるのかもしれない。社会機能分化という概念が持ち出されるのかもしれない。とにかく、当時のドイツ社会は、それぞれの階級その他の集団が全く孤立した状態にあったのではないか。そしてその利害は最期まで一致することが無かったのではないか。マルティン・ニーメラー神父の「最初は共産主義者、次に社会主義者・・・」のエピソードからも分かるように、それぞれの集団は他の集団に対して全く関心を払うことが無かったのである。労働運動も、ナチス社会民主党共産党を徹底的に弾圧してしまったため、労働者の「連帯」のノウハウが忘れ去られ、孤立化し、衰退していった。しかもナチス完全雇用を達成したから、運動のモチベーションは完全に低下した。「日常」を手に入れた労働者たちは、それを維持するために自らと利害をともにしないものに対して逆に防衛的になっていく。
ナチス政権は、こうした民衆の利害をまとめたわけではない。デートレフ・ポイカートによれば、ナチスが行ったことは単なる「危機」の演出である。ユダヤ人、共産主義などを脅威として、それぞれの社会集団に、それぞれの「日常」が危機にさらされていると煽り立てたのであった。そして、これらの「危機」は孤立化した集団が「日常」の中でお互いに抱いていた疑心暗鬼に根ざしたものであった。彼らは政治的利害は異なっていたが、ただ恐怖という感情において一致していた。あれほど攻撃的なナチズムの性格をほとんどの民衆が気にしなかったのは、その攻撃性が他の集団に向けられている限りは、自分たちの集団にとっては全く関係がなく、その痛快さから、むしろナチズムは我々の味方であるとそれぞれの集団が思い込んでいたからだ。個々の集団が利己的に自らの利益を追求すればするほど、それはパラドックス的に全体主義を支える土台になっていった。
民衆の利害をまとめる代わりに、ナチズムは娯楽をまとめた。1936年のベルリンオリンピックはその象徴だろう。ナチ時代には「失業ゼロ」と「オリンピック」というパンとサーカスは十分存在した。そして、古代ローマと違って20世紀以降の人間にとってはパンもサーカスも「日常」の部類に属するものだ。SF作家のバラードは、次に来る全体主義は「ソフトな」全体主義だろうとどこかで述べていたが、ナチズムも十分ソフトであったと思われる。自分たちが攻撃されない限りは。
一昔前の左翼は、良く「軍靴の足音」を聞いていたという、今ではそれは幻聴だったことになっている。僕も幻聴だと思う。ナチスが台頭する前も、ほとんどの人は軍靴の足音を聞いていなかったのだから。