中学生では分からない差分の話

http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080104/1199397671
「自分が見たことがないものは存在しない」病って何病だろ。大二病?
まあ誠実にやります。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060228
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20041022
このへんも読んでね。
言うまでもなく、80年代におけるドイツ歴史家論争はホロコーストの有無が問題になったわけでは無く、まさに「差分」の話、つまり、ホロコーストは歴史的に固有な事件であったか、20世紀におけるジェノサイドのひとつに過ぎなかったか、ということでありました。ここで重要なのは、歴史の相対化に対する批判が相対化それ自体に対してではなく、相対化のザッハリヒな内容に対して行われたということです。たとえば、南京大虐殺で言うならば、マニラやシンガポールの虐殺などと比較して、当時の日本軍の体質を明らかにしたり、逆に南京大虐殺そのものの特異性を導き出したりする議論、つまり「差分」の議論は当然行われてきているわけですが、なに、ご存じない?まあ別に良いです。とにかくそうした議論は特に南京大虐殺を相殺化するものではありませんが、学問的な齟齬があればやっぱり批判されるでしょう。専門ではないので具体的なことは分かりませんがね。さて、いわんや相対化−相殺化についてです。「あの事件とこの事件は比較可能である(あるいは同質である)」と言うためには、やはり論証が必要です。いや、そもそもあらゆる事件はもちろんそれ固有の事件なのであって、比較とは我々がある条件を設定する限りにおいて可能であるわけです。まして、「戦争中によくあるレイプ・虐殺」という、おそらく言った本人でさえ定義不可能な漠然とした抽象事項と比べて南京大虐殺がいかに特異であるか、など、そもそも論じることが不可能だよと言ってあげるべきなのです。だからまあ、id:Apemanさんは優しすぎるよ(笑)。つまり、知識が無いのに「差分」の話なんてできるわけないんですよ。たとえば各国で行われている従軍慰安婦の決議は、もちろん従軍慰安婦の特異性を指摘しているのに、それを批判する側は決議文も読まずに従軍慰安婦を相対化しようとする、という光景はよく見られますね。
まあそもそも、過去の免罪のための過去の相殺自体がどうなのよという問題はあります。むしろ免罪のために過去の相対化を拒否するという態度をルワンダのときとっていた人もいましたが、免罪のための「あいつらと一緒にするな!」と、「どこでもやっているだろ!」はその事件の固有性を否定する態度に他ならないと昔書きました。そうそう、事件って固有なんですよ。じゃないと戦国時代の合戦にいちいち全部名前がついているわけ無いじゃないですか。南京大虐殺より規模が小さい通州事件なんてどうすればいいんでしょう?てなわけで、南京大虐殺はそれ固有の虐殺事件として問題化されることはそれ自体まったく問題ありません。中国は南京だけでなく、香港や重慶など日本の他の戦争犯罪も強調しているし、南京大虐殺は中国に賠償も謝罪も求められていません。「30万人という桁違いの大量虐殺」だから、中国が南京大虐殺を問題視しているという議論は、もちろんそれが賠償と謝罪を求めているという帰結も誤りであるし、30万という数字は象徴的な数字なのでもちろんそこも問題視していないとは言えないとは思いますが、それだけではなく、問題の本質はやはり虐殺そのものであるとしているのであり、従って誤りなのです。
なんかきわめて普通のことしか言ってないけど、いいや。