工場主とハゲタカ、または可能世界と責任の話

先日の記事に多くのコメントを頂きましたので、これは答えておいた方が、というものに答えてみました。

ryoryo 2008/01/14 13:45
興味深いエントリーをありがとうございます。
>3000万で売れると分っているものを30万で買うこと
は、>他人の不幸の上に成り立つ成功
であるように書いてありますが、私は”売主の不幸の緩和”をしていると感じます。
工作機械を30万で売った人間は、リスク無しで30万円を儲けています。後々この話を聞いたら、損したと感じるでしょう。しかし、ハゲタカが売主を不幸にしているわけではありません。売主が不幸になったのは機械が壊れたからです。それも、機械が正常に動作し続けるより、不幸になったというだけです。その機械は壊れるまで売主に十分利益を与えた可能性もあります。
それに売主だって”馬鹿”じゃない、ハゲタカに話を聞いたら壊れた機械に価値があることくらい気付いたでしょう。この場合のハゲタカは、売主の不幸も緩和しています。

「売主は30万儲け、ハゲタカは3000万儲けた。誰も損してないじゃないか。」という批判は、トラバやブクマでもありました。
ここで考えなければいけないのが、コメントでも指摘されているように、売主はまず機械が壊れたことで既に損をしているということです。その機械がどこまで減価償却されているのか知りませんが、少なくとも30万円では補えないであろう、ということにしておきましょう。工場主はいずれにせよまた3000万円相当の機械を買わなければいけないのです。
そのときに持ち出されるのが、「ハゲタカが買わなければ、工場主は30万ですら手に入れられなかったであろう」という仮定です。ハゲタカのおかげで30万円が手に入った。だから工場主はハゲタカによって得をした、ということになります。
この論法には、明らかに詐術が含まれています。なぜなら、「ハゲタカが買わなければ、工場主は30万ですら手に入れられなかったであろう」という仮定を立てることができるならば、同様に「ハゲタカは無償で工場の機械を直してあげることができたであろう」という仮定も立てることが可能だからです。この場合、工場主の損は0です。あるいは3万円くらいの修理費を払っても良いと思いますが、いずれにせよハゲタカは工場主が損をしない方法を知っていて、あえてやらなかったということになります。
工場主とハゲタカとの間で、どのような交渉が行われたかは知る由もありません。しかし、そんなことはこの場合問題ではありません。重要なのは、「ハゲタカは機械を30万円で買い、3000万円で売った」という事実です。「ハゲタカは工場主が損をすることを見過ごした」という事実です。
一応ことわっておきますが、私はこのような行為自体が、「汚い大人」がやるそれであり、非難されるべきであり、禁止されるべきである、とは言いません。「ハゲタカは無償で工場の機械を直してあげることができるのだからしなければならない」とも言いません。
必要なのは、「できるのにやらなかった」もっと言えば、「やらなかった」という事実を受け止めるということです。私が言う倫理とは、その意味での倫理です。
このような問題を考えるにあたって、私の念頭にあるのはたとえば次のような記事です。

「私はペーパーナイフではない」——サルトルとリベラルの違い - (元)登校拒否系
http://d.hatena.ne.jp/toled/20071217

はっきり言って、私はもう全然リベラルっ子であって、なんかもうこの記事を紹介することさえ後ろめたいのですが、にもかかわらず常野さんが言うところのサルトルがどうしても気になって仕方がない。
もうちょっと具体的なところでは、次のような記事を念頭においていました。

モジモジ君の日記。みたいな。 - 道徳的詐術とは何か
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20070421

倫理的であるということは、「責任」の引き受けであるとも言えます。たとえば、ハゲタカ教信者は創意工夫*1のない努力教信者を切断することで「格差」などの責任を回避し、努力教信者は責任を引き受けているようでいて、結局はまあどのような場合でも「他者」を切断し、自分に責任があることにしとけ、ということであるから、結局は責任をうやむやにする態度です。
「責任」の問題については、これも常野さんの記事が示唆的です。

テラ豚丼祭りと「自由への恐怖」 - (元)登校拒否系
http://d.hatena.ne.jp/toled/20071202

何か他の記事の紹介ばかりになってアレなのですが、結局私が思ってるのは、こういうことに触れることで、少しでもこうした問題意識について考える人が増えればいいなあということなのですが、まあそういう人が増えたら世界は良くなるのか、と言われれば、正直分りません。
しかしなおそう思わざるを得ない、ということで、まさに一昨日の記事と今日の記事は倫理について語っているということになるのですが。

*1:たとえば創意工夫には、新書なんて読む暇ねえから南京事件まとめサイトをつくれ、と要求することも含まれるのでしょう