あのころは加藤智大がいた

オタクを叩くマスコミ叩きに余念が無いはてなオタククラスタのみなさん、いかがお過ごしですか。まあ卒業文集引っ掻き回してまで「オタクの」「心の闇」を探し出そうとしたり、両親連れてきて人身御供にしたりするマスコミに怒るっていうのは、正当であると思います。
しかしですね。そのやり口はどうなんでしょう。普通のオタクは良識のある市民であって通り魔などしないだとか、両親は悪くない大人なんだから全責任は容疑者に、とか言ってませんか?
ぶっちゃけ、容疑者を切断処理してませんか?
いや、今いろいろなところでやたらなされようとしている秋葉原の「神聖化」にそうしたものを感じざるにはいられないのです。
通り魔は「神聖な」秋葉原に「穢れ」をもたらしました。ゆえに、清めなければいけないというものです。
僕は、(通り魔事件のせいで)秋葉原に怖くて行けない感性というのがあまり理解できないのですけど、その真逆、つまり「我々は平和な秋葉原を取り戻すためにあえて日常を謳歌しなければならないのだ」式の「神聖化」はもっとどうなんでしょうか。
日常を取り戻すとはどういうことでしょうか。それは、通り魔事件をなかったことにすることです。秋葉原という街の記憶から、通り魔を消去することです。
しかし、本当にそれでいいんでしょうか。ぼくがこの事件そのものをことさらに取り上げるべきではないと言ったのは、それこそ事件「だけ」に着目していえば、必然的にそれは卒業文集的なワイドショー的消費になってしまうからであって、さっさと忘れるべきだという意味ではありませんでした。
たとえば実際に被害にあわれた方々にとっては、この事件ははやく忘れ去られるべきものかもしれません。特にこうした通り魔などの犯罪にあわれた方はPTSDなどを起こすことがありますから。
しかし、別にその現場にいあわせただけの、いやいあわせてすらいなかったオタクが被害者面をするのは、それこそ「不謹慎」な気がします。あるいはこれもある種の「不快感至上主義」と言ってもいいかもしれませんが。
そもそもなぜオタクは「われわれは傷つけられた」と思ってしまったのでしょうか。多くの「善良な」秋葉原のオタクたちにとって、通り魔は外部からやってきたものでした。彼はまさにオタク的な趣味を持ち、オタク的な言語を用い、オタク的な問題について関心があったにも関わらず、オタクにとっての「われわれ」の中には、彼は入れてもらえませんでした。
つまり、秋葉原は内から汚れていったのではなく外から汚されたという視点なのです。
しかし、現実の秋葉原は開かれていて、外部はありません。秋葉原で起こったことに対して、これは秋葉原で起こってよい事件であれは起こってはいけない事件だった、という区別を設けることはできません。もし世の中が常に理不尽な力の暴発の危険にさらされているとすれば、秋葉原もその例外ではないのです、よって、通り魔事件は秋葉原の歴史において当然、刻まれる権利をもつのです。
確かに凄惨な事件でした。出来れば思い出したくない記憶であるかもしれません。しかし、秋葉原「日常」を取り戻すために事件をなかったことにするなら―また再び何の屈託もなく「聖地」秋葉原という言葉が用いられるなら、記憶には抵抗する権利があります。
かつて、ベルゲン・ベルゼンの市民が、市のとある道をアンネ・フランク通りと改称しようとしたことに対して抵抗したというエピソードがあります。
そんなわけで、ぼくは秋葉原の中央通りを「加藤智大通り」と改称することを提案します。もちろん、歩行者天国の廃止などもってのほかです。通り魔行為を賛美するのでもありません。大事なのはそれが記憶され語り継がれるということです。それこそが事件を「消費」しない方法であるのです。卒業文集をいじくりまわすのも「消費」ですが、「通り魔犠牲者の屍を乗越え、ぼくたちはより楽しい秋葉原を」的なナショナリズム高揚も酷い「消費」の仕方だと思いますので。ええ。
参考
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080611/1213162474