別に是非をどうこうという話では無いんですけれども

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080903/p3
まあエサに釣られた馬鹿とみなされてはかなわんのであまり深入りはしたくないのですが、一点だけ。
稲葉先生はフランソワ・フュレを参考文献であげられています*1。それ自体に文句を言うつもりは無くて、まあ稲葉先生のような主張をされるのならばもちろん参照はされるだろうなあとむしろ納得したのですが、ただフランソワ・フュレという人については一応ちゃんと説明しておかなければいけません。なぜならば彼は「歴史修正主義」の歴史家であると一般的には認識されているからです。もちろんフランスで言う「歴史修正主義」は日本やドイツのように否定的意味を持っていないし、彼のフランス革命再解釈の評価は高いです。ただ、「資本主義よりも共産主義の害のほうが大きかった」という文脈でフュレを持ち出されるならば、フュレとの往復書簡も刊行されており、フュレと同じような立場に立っているドイツの「歴史修正主義者」エルンスト・ノルテが、まさに「共産主義の悪」を持ち出すことでナチズムの犯罪行為を「相対化」しようとしたことは一応おさえておいていいと思います。別に稲葉先生がそのようなことをしようとしてるとは思いませんが。
まあフュレ自身も例の『共産主義黒書』をめぐってホブズボームと論争するくらいにはスタンスがはっきりした歴史家であって、もちろん稲葉先生はそのような文脈も全部ふまえて上で紹介されているのだと思うのですが、一応読者の方も了解しておいたほうが良いと思ったので捕捉しておきました*2

*1:僕はあの本については、もちろんフランス人歴史家としての問題意識が先行しているとはいえ、ファシズムが持っていたある種の「普遍」主義と「特殊」主義の有機的な結合が説明しきれていないなあと思うのですが、まあそれは議論の余地があるでしょう。

*2:誤解の無いように言っておくと、フュレのスタンスを根拠に彼の議論は(「偏向」していて)間違っているなんてまったく思ってはいないし、フュレを紹介したからといって稲葉先生が「偏向」しているのだと言うつもりもありません。ただ、フュレについては枕詞をつけなければいけないような、そういう歴史家であるということです。