本当の本当に大切なことには、理由があってはいけない

http://d.hatena.ne.jp/inumash/20080915/p1
inumashさんの議論については様々な問題があります。本質的なところでは
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080404/p1
につきるのですが、あれから全然反省しているようには見えませんね。まあいいでしょう。
何故「自称中立」か?については極めて簡単な解答がだせて、つまりたとえばこれが歴史修正主義の問題だったらどうか考えればいいのです。
南京大虐殺があったというのは自明です。しかし、それに対する否定論に我々はどう対処すればいいのでしょうか。ホロコースト否定論についてはもうはっきりしていて、無視すればいい。なぜなら否定論と議論すること自体が否定論が論として成立していることを認めることになるからです。
http://d.hatena.ne.jp/rna/20080104/p1
で明快に指摘されているとおり、歴史修正主義の目的のひとつは「足止め効果」なのです。

慎重でバランス感覚を大事にするタイプの人ほどこの手の「足止め」にひっかかります。バランス感覚というのはコスト感覚にも通じるもので、「議論の捏造」は議論をトレースするコストを水増しして見せることで、このコスト感覚に訴えるのです。そして「自分が納得するだけのものを得るにはコストがかかりすぎる」という合理的な判断に導けば足止め完了。「自称中立」と言うと自分のバイアスに気付かないマヌケというニュアンスがありますが、そうでなくとも引っかかるのがこの手の「足止め」なのです。

さて、「ホームレスの生存権は自明」を「南京大虐殺は自明」に置き換えてみましょう。もし、「これだけ否定論がはびこる中で南京大虐殺は自明なんて言っても意味が無い。信仰告白にすぎない」と誰かが言ったらどうなるでしょう?そんなの、[自称中立]タグがブクマで貼られるに決まっています。具体的には1月の南京騒動を見ればわかりますよね。だって、否定論にまともに付き合うこと自体が否定論の「足止め効果」に加担することになるのだから。これはid:Apemanさんとかが口を酸っくして何度も言っていることであります。
それと同じ事です。スラヴォイ・ジジェクという人はレイプがなぜ野蛮かということが論題になるような社会は野蛮だと言っていました。生存権が自明かどうかが議論になる社会でどうやって生存権を守っていけば良いのでしょう?
たとえば、inumashさんの大好きな歴史を参照してみましょう。アメリカの公民権運動のきっかけのひとつに、あの有名なローザ・パークスの事件があったわけです。ところで、ローザ・パークスはバスの席を立たなかったとき、彼女は白人と黒人が平等であることを誰にでも明確に説得し得る論拠を持っていたわけでも、あるいは、もし運転手が白人と黒人は平等でないことを論理的に説明すれば、納得して立つ用意があったが、運転手がそれをしなかったから立たなかったわけでもありませんでした。黒人と白人が平等である、それが自明であると信じていれば、自分や社会にとって都合がいいという打算でさえありませんでした。彼女にあったのは、ただ、黒人と白人が平等であるという、その明白な事実にたいする確信であって、それが彼女を席に座りつづけさせたのです。そして、それに続く公民権運動が広範囲な運動になりえたのも、黒人と白人が平等であるという自明性を運動の担い手たちが持ちつづけたからです。彼らに、なぜ黒人と白人が平等であるか理由を言えといえますか?*1

http://d.hatena.ne.jp/toled/20071116/1195221093
 たとえば、死刑制度。よく、中立を装った奴が お節介にも「論点整理」とかってするだろ? 将来の犯罪を抑止できるかとか、冤罪の可能性とか、被害者の感情とか なんとか。
 もちろんサヨクは死刑に反対だ。けどね、こういう「論点」を一々チェックしていって、で、「う〜ん、死刑は廃止した方がいいかもなあ」なんて結論に到達したわけじゃないんだ。
 まず結論ありきだ。死刑には絶対に反対なんだ。死刑のおかげで将来の殺人事件が半減しようが、裁判官が常に正しい判決を出そうが、被害者や遺族が何を言おうが、おかまいなしだ。とにかく死刑はダメなんだ!
 っていうと、おいおい、と思うかもしれないが、これは右翼諸君にしてもそういう感じなんじゃないか? たとえば、犯罪抑止効果。社会学者が出てきて、「え〜ヨーロッパでは……2.96%……20,212人……56%…… 14%……したがいまして……」とかってペラペラ喋りだしたりしたら、正直、ちょっと不安になるよね。でも、そんなことでヘコタレル君らじゃないよな? 別の学者にしゃべらせればいいんじゃん。別の「論点」を前面に押し出せばいいんじゃん。
 本当の本当に大切なことには、理由があってはいけない。「死刑には反対/賛成だ。なぜならば……」なんて言っちゃいけないんだ。だって、その「……」の部分がもし間違ってたら、意見を変えなきゃいけないことになるじゃにゃいか。そんなのはイヤだろ? 俺は、イヤだ。

たとえばこの前、sayokという人がうちのブログのコメント欄で壮絶な討ち死にを果たしましたが、彼が言ったのは「もしナチス優生学が正しければホロコーストやむなし」でした。まあ、この人は真面目だったのでしょう。そして、ホロコーストがなぜ間違っているのかずっと考えていたのでしょう。そして達した結論が、「(ホロコーストの根拠となった)ナチス優生学が誤りだから」なのでしょう。では、もしその優生学が正しかったら?もちろんホロコーストはやっていいのです。
現在でも黒人差別はあります。まあ日本では韓国人差別のほうがアクチュアルかもしれません。「韓国人なんか人間じゃない」と思っている人は割と素でいます。でも、そういう人がいたとしても「韓国人が人間である」ことの自明性はゆるぎ無いでそ?「韓国人が人間であることが自明だと思っていない人がいる」とはいえても、「韓国人が人間であることは自明ではない」とはいえない。「韓国人が人間でない」という人が間違っているのは、「韓国人が人間である」からです。それで十分です。いや、「しかし人間であるとは何か、生物学的な意味か社会的な意味か…」みたいな議論をしたがる人がひょっとすると出てくるかもしれない。でもそれは醜悪な議論のための議論です。これは自明です。
いや、もっといえば人権という思想がもとからそうなのです。ロックやルソーは「俺らが発明した人権って概念つかえばこういうメリットがあるから積極的に使っていこうぜ!」なんて話をしていたわけじゃない。ただ、人には人権があるといった。もし、ルソーに、人権なんて道具を発明してあんたうまくやりましたねと言いに行ったら、血気の早いルソーのことです。たちまち殴りかかってくるに違いない*2
あと、これはどうでもいいといえばどうでもいいのですが、ぼくは「自明だから憲法に書いてある」と言っていて「憲法に書いているから自明」とはいっていないのですが、inumashさんにおかれましては後者の意味で取ってますよね明らかに。日本語はちゃんと読んでくださいと申し上げたいのですが、まあ自明だから憲法に書いてあるということはどういうことか。「法の支配」ということです。え、それだけじゃダメ?つまり憲法は人権規定を書かねばならない。なぜなら憲法は人権の保障を目的としているから。何故憲法は人権の保障を目的としなければいけないか。人権は保障されなければならないから。なぜ人権は保障されなければいけないか。人間には人権があるからです。それは自明だからです。たとえば、この自明性が崩れるとどうなるか。人権?まあそれっぽいことも書いとこうということになって、明治憲法みたいなものが出来上がる。
たとえば、あなたは晩御飯にカレーライスをつくると決めました。決めたんです。で、戸棚を開けました。あら、ルーがない。スーパーに買いに行こうかどうか悩みます。どうしようかしら。でもこの悩みって、結局カレーをつくるかどうか自体を悩んでますよね。ルーがなければカレーはつくれないんだから。カレーライスをつくるのをもう決めているんだったら、ルーを買いに行くんです。まぁ、適当にコンビニでルーを買うか、それとも高級スーパー行ってスパイス買って自作しちゃおうかしらとか、あるいは米だけ炊いていっそレトルトカレー買っちゃおうかしらとかそれくらいの選択はもちろんありますが、ルーを買いに行かないという選択にはならないわけです。カレールーを買いに行こうと外に出た。雨が降っていた。…カレーやめてシチューにしようかしら。そもそも、なんでカレーライス食べなきゃいけないんだっけ?わざわざ雨の中買いに行くほどカレー食べるの重要じゃなくない?別にカレーライスだったらいいんですけど、これが人権だったら困るわけです。ホームレス支援?財源が無いよ!見殺しにしよう。生存権?そんなの無いよ。でも生存権が自明だったらこれは救わないわけにはいかない。財源が無いなんて言ってられない。

そんなことよりも、人間が人間らしく再生産される社会を目指すほうが、はるかに重要である。社会がそこにきちんとプライオリティ(優先順位)を設定すれば、自己責任だの財源論だのといったことは、すぐに誰も言い出せなくなる。そんな発言は、その人が人間らしい労働と暮らしの実現を軽視している証だということが明らかになるからだ。
湯浅誠『反貧困』あとがきより)

自明であるということは結局そういうことでしかない。つまり自明性を受け入れるかどうかという一点に帰着するのです。では逆に自明でないということはどういうことか。ホームレスに生存権があるというのならば、俺を説得してみせろ!と前に立ちはだかる人がいる。この人を説得すること可能?いや現実的に。無理でそ。南京大虐殺論争見れば分かるとおり、大抵こういう人は無敵君なのです。いや、自分の信念に忠実だと言って評価してもいい。でもまあinumashさんにおかれましては、結局彼らを説得できず、ホームレスが見殺しになるのは説得できなかった左翼のせいということになる*3
お前がどう思おうが、ホームレスには生存権があるのは自明だよ、が正しい態度です。inumashさんはどう思うの?他の人がどう思ってるかは関係なく。ホームレスの生存権は自明だと思わない?あ、そう。じゃあそれならそれでいいですけど、自称左翼の看板は下ろして欲しいですよね。ポストヒューマンの広報マンか、今からゼロアカに道場破りするなどしてご活躍願えればと思います。

*1:あんまりこういうものの言い方をするのはイヤなんだけど、まさに人権がどのように獲得されていったのかという歴史を考えるとき、「人権は自明だよ」と「人権は文脈だよ」のどちらが過去の歴史に敬意を払っているといえるのか。

*2:よく知らないんですけどinumashさんは人権がどのように獲得されてきたのかという意味や文脈を踏まえて、「ホームレスにも生存権はある」という結論に達したのかな。ぼくは啓蒙主義という言葉を知るずっと前からホームレスは差別しちゃいけないんだと思ってたけど。「人権思想」がそのようにハードルを上げなければ理解できないものだとすれば、逆に支持は広がらないのではないですか?「差別はよくない」たとえばこの一言の自明性が、人権というものに人びとを結び付けてきたのではないですか?

*3:ていうかこういう人説得したければ自分でやればいいと思う。