平等について

がんばれば公立高校に入学できるので機会平等、なわけありませんよ。
がんばらなければ高校に進学できない人と、がんばらなくても進学できる人(私学に行ける)がいる時点で機会平等じゃないです。
「選択の自由」は欺瞞なんです。
 
↓お勉強しましょう。

■「選択の自由」が排除する人々
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080302/p1
■どうして逃げないの?
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080408/p1
ベーシック・インカムという脅迫
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080506/p1
 
(追記)
ちなみにぼくは機会平等だけじゃぜんぜんだめで、結果平等じゃなきゃいけないと思ってます。左翼なので。
機会が平等でも結果として収入に100倍くらい差がでるのは全然だめ。
 
(再追記)
「現実主義者」様が沸いているので。
■「残酷な現実」の内面化、あるいはオメラスの発掘
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080525/p1
↑ハシシタ問題にクリティカルな気がするわ。
どういうことかというと、われわれはハシシタが女子学生とか公務員とか教員とかを公開でdisるのは政治的パフォーマンスだと思っていたけど、それだけではなくて、まさに彼ら彼女らをdisることで、彼自身が猛烈なモチベーションを得ているのではないかということです。私学助成を切り捨てるのは良心が痛むなあなに女子学生が来るってよしdisろうdisったらなんか切り捨てるの楽になったぞすばらしい。

http://d.hatena.ne.jp/flurry/20080116#p1
自分のことに比べて、あいつのバカさ加減はなんと自明に思えることでしょう! さらに言うならば、ある種の信念は、他人と自分との認識のギャップであったり、無知な他人が居るという信念だったりに支えられているのではないでしょうか。

で、このハシシタ的現実主義者とバカな学生の間にあるのがイニシエーション的教育だ、という話を上の記事ではしていて、つまりどういうことかというと、女子高生に真正面から厳しくぶつかって現実を教えたハシシタさんすばらしい!というあの醜悪なコメント群のことであります。