雇用の流動性をはかれという議論に欠けているもの

「強い」正規社員の保護をゆるくして雇用の流動化をはかれという声がありますが、前提を忘れていると思います。
そもそも、なぜ日本では正規社員の雇用が強く守られてきたかというと、それは貧弱な社会福祉制度とセットでありました。高度成長以来、欧州で行われてきた教育や医療を無償化するなどの社会政策のかわりに、「強い」正規社員の父親が「一家の大黒柱」として教育、医療、介護すべての福祉をカバーする「中流」の「家族」を保護することによって、その穴を埋めてきたのです。この点では終身雇用の年功序列というのはなかなか合理的な制度でした。なぜならば、身軽な若年層よりも、子どもの教育や両親の介護がある中高年層のほうがお金がかかるに決まっているので、より負担が大きい層により多くのお金がいきわたるという仕組みになっていたからです。
もちろん、このやり方は構造上すべての人々に恩恵を与えることはできません。さらに、特定の「家族」観の押し付けという点で時代にそぐわない面もあるし、正規社員からドロップアウトして非正規社員ということになると、とたんに生活が厳しくなるという点で問題があったといえます。でも、だからといって「強い」正規社員の保護を簡単にはずしてしまうとどうなるでしょうか?今まで担ってきた「強い」正規社員がいなくなったあとで、教育や、医療や、介護は、誰が担うのでしょう?
よく、年寄りの世代のせいで若い世代が割りを食っているといいます。でも、年寄りの世代の保護をはずして若い世代に回すことで何がおこるでしょうか。たとえば「高コストな」中高年の正規社員をリストラして若年層の正規社員を雇う。しかし、その中高年の正規社員たちにはおそらく子どもがいるでしょう。彼らはその「強い」正規社員のお父さんの庇護のもとで教育を受けてきたわけです。父親がリストラにあったことで彼らは高校や大学への進学の道を閉ざされるかもしれません。事実、経済困窮を理由に高校や大学を中退する人々が増えています。であるならば、これは若い世代のせいで「より若い」世代が割りを食うことにはならないでしょうか?
「強い」正規社員の保護の撤廃は、必ず社会保障の充実とセットで語られなければいけません。もしお父さんがリストラにあっても充実した失業給付が受けられれば当面の生活には困らないし、医療や教育が無償ならば、今までどおりお医者さんに行ったり学校に通うことができる。それに、逆になぜ正規社員が雇用にしがみつくのかというと、今の日本では失業したらたちまち路頭に迷うことになるからでしょう。もし失業の補償が充実していれば、職探しも楽になるだろうし、転職・起業の機会も増えるのではないでしょうか*1
たとえばデンマークを見てみましょう。デンマークは非常に雇用の流動性が高い国として評価されることが多いですが、それを支えているものは何なのでしょうか?

デンマークフレキシキュリティと我が国の雇用保護緩和の議論
http://www.jil.go.jp/column/bn/colum072.htm
我が国で、多くの人が注目するのは、解雇規制の緩さなどフレキシブルな労働市場についてである。しかし、この柔軟性は、「ゴールデントライアングル」とも称される (1) フレキシブルな労働市場、 (2) 失業者に対して手厚い給付を行う失業保険制度等[5]、(3) 失業者の技能向上を目的とした職業訓練を伴う積極的労働市場政策の3つの密接な相互連携からなるデンマーク特有の体制の下での「雇用の保証(employment security;同一企業内の雇用保証ではなく、職業訓練など活性化施策と密接に関連した手厚い失業給付を基盤とした切れ目のない雇用の場の確保)」を基礎に実現されていることに注意が必要である。
特に、こうした政策を実現可能としているのは、使用者団体と労働団体の合意を中核とした政労使三者合意による世界最高水準の国民負担率( 74%)に対する国民の合意である。こうした条件の下、GDPに占める労働市場政策への支出割合も 4.5%、失業者の再訓練を含む積極的雇用対策費は同 1.8 %とOECD諸国で最高となっている(我が国ではそれぞれ 0.7%、0.3%)[6]。ラーセン教授によれば、「世界で最も費用がかかるシステムであるが、国民はこれを投資と見なし納得している。」とのことである。失業しても深刻な事態にはならない手厚い失業給付とセットになった職業訓練による活性化施策が大きな役割を果たしているからであろう。特に、失業者に対する職業訓練は、スキルの低い労働者が高い資格を得られるようにするなど非常に充実したものとなっている。これは継続的に更新される基本スキルを有した労働力を基盤とした企業競争力の源泉ともなっている。
(強調は引用者)

世界に類を見ない流動的な雇用は、世界に類を見ないセーフティーネットとセットであるわけです。もちろん、デンマークの制度にまったく問題が無いわけではないし、この制度を即座に日本に当てはめることもできません。言いたいことは、雇用と社会保障は天秤のように釣り合った問題であるということです。「強い」雇用と「弱い」社会保障か、「弱い」雇用と「強い」社会保障か。そして、その全体としての水準をいかに高めていくか。
デンマークは小国ですが、では大国ドイツを見てみましょう。
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpyi200501/b0394.html
簡単に言うと、ドイツの場合、失業保険にあたる失業給付(Arbeitslosengeld)は最大18ヶ月受けられます。さらにその後は失業給付2(Arbeitslosengeld 2)を受けることができます。もちろん失業給付2は低額なので生活が厳しいことに変わりはありませんが、一円ももらえない日本よりははるかにましです。しかもこれは"ハルツ4"という改革によって、社会保障費が減額された結果の制度です。減額されてこれです。シュレーダー社民党政権は社民を捨てたとさんざん批判されてこれです。いかに日本が棄民政策を取っているかというのが分かるでしょう。日本の労働者はもっと怒っていい。もちろんドイツでは、(強い圧力にさらされているとはいえ)伝統的な社会コーポラティズム―たとえば労働組合の経営参画*2―によって雇用も守られています。雇用と社会保障の天秤が少なくとも日本よりは高いレベルで釣り合っているといえるでしょう。
このような話をすると、すぐ財源の問題として消費税があげられるわけですが、確かに欧州の高福祉は消費税でまかなわれている面がある、しかし、それだけではありません。
■賃金以外の労働コスト - OECD(先進国)ランキング
http://dataranking.com/table.cgi?LG=j&TP=em06-1&RG=1
■解雇に伴うコスト - OECD(先進国)ランキング
http://dataranking.com/table.cgi?LG=j&TP=em06-2&RG=1&FL=
失業保険42ヶ月をほこるフランスは当然上位に来ますし、ドイツは解雇に伴う労働コストが高い。デンマークは両者ともに少ないですが*3、かわりに所得税が高いことが有名です。日本は両者とも下位に沈んでおり、いわば企業に「甘い」。企業は労働のフレキシビリティを得たいなら相応の負担をせよ、というのが筋なのです。
今、日本で言われている「強い」正規社員の保護をはずせというのは、かわりに社会保障をあげよというのではありません。つまり、雇用と社会保障の天秤の水準を引き下げよということです。それが行われるとどうなるか。たちまち日本全国に「派遣村」ができあがることでしょう。もし雇用の流動性を高めることが大切であるというのであれば、では社会福祉はかわりに誰が負担するのか?ということもセットで議論されなければいけないのではないでしょうか。

*1:さらに、職にしがみつかなくて済むようになれば、貧弱な日本の労働運動も高まるでしょう。労働環境の改善を堂々と主張できる。それこそ市場原理主義者のみなさんがよくおっしゃるように、劣悪な企業が「淘汰」されるのでは。

*2:たとえば京品ホテルの問題で、労働者は経営者に従うのは当然と言っている人はドイツを見ろと言いたい

*3:だからといって、デンマークが企業の社会的責任を重視していないというわけではありません。http://www.jil.go.jp/foreign/labor_system/2006_2/denmark_01.htm