「枢軸国」の脱-政治化・通俗化について

■第3章 「第二の罪」――「過去の克服」の難しさ――
http://www.ia.inf.shizuoka.ac.jp/~nakao/thesis/maruyama/M-3.html
1970年代に旧西ドイツで2度にわたり「ヒトラー・ブーム」という社会現象が現れた。その発端の一つが、72年8月、オリンピック開催を間近に控えたミュンヘンのある映画館で、36年に行われたベルリン・オリンピックの記録映画『民族の祭典』『美の祭典』〔12〕が上映されたことである。これには、ヒトラーナチスについて何の罪の意識もなしに語りうるムードが生まれつつあることが予兆されていた。それ以後、73年にはW・ペンポウスキ編『君はヒトラーを見たか』、J・フェストの伝記『ヒトラー』などが出版されてベストセラーとなり、また、イギリスの歴史家トレヴァー・ローパーの『ヒトラーの最後の日』が独訳されたりした。
 そして、ハーケンクロイツナチスの行進風景など、刺激的な表紙とグラビアで飾られた雑誌『第三帝国』の発刊や、古物商によるヒトラーナチスの大物の所持品の高値販売、フランクフルトでのナチス美術展の開催など、ナチス期を懐かしんだり美化するためのさまざまな試みが繰り返され、「第一次ヒトラー・ブーム」が現出した。
 このブームは、ヒトラーナチスについての知識を一部の教養層だけでなく、広く国民の中に普及するという積極的な役割を果たした。そして同時に、何の罪も伴わない「ヒトラー」の大衆的風俗化も促進した。
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その原因として一つ考えられるのが、ナチスが大衆的基盤に立っていたということである。つまり、ナチスの影響力があまりにも広く深くドイツ社会におよんでいたがゆえに、戦後もその理念は完全には取り払われず、潜在的に染み付いているのではないか、そして、それが極右勢力伸張の根源的な温床となっているのではないか、ということである。例えば、「ヒトラー・ブーム」は旧西ドイツ国民の極右的ポテンシャル表出の一形態であると言えるし、事実、それはネオナチ躍進のきっかけとなったのである。また、「ナチスの亡霊」に憑りつかれたかのような政治家や知識人の相対主義的・修正主義的な解釈は、極右勢力にとって絶好の理論的武器や存在意義、思想的裏付けを提供するものなのである。