和奏はいかにして母の曲を完成しえたか、あるいは「主体」――アニメ「TARI TARI」における"過去の克服"について

 少し前に「けいおん!内面論争」というものがあった。契機になったのは「けいおん!」には内面がないのではないか、という主張があるブログにてなされたことである。「けいおん!」には「死にゆく私」や「成熟という困難」という、近代的な主体を形成するためには不可欠な要素がない。かのじょたちは死や不安に襲われることもなく、全員いっしょの大学に進学するので「日常の終わり」もない。それはある種の「ユートピア」にすぎず、そこに住む登場人物に内面を認めることはできない。
 
 アニメ「TARI TARI」のヒロイン、和奏は、上の議論に従えば、まさに「死」というものに強く刻印づけられていたヒロインだったといえるだろう。彼女は、ある後悔を伴うかたちで母、まひるを亡くす。彼女にとって、母の記憶は重荷でしかなかった。であるがゆえに、和奏は母の幻影から逃げようと試みる。母を想起させうる音楽をやめ、遺品もなるべく遠ざけようとするのである。
しかし、和奏がまひるを忘れようとすればするほど、まひるは和奏の前にあらわれる。過去の幻影は実像をともない何度も生起し、繰り返し訪れてくる。幻影は忘却を許さず、和奏を拘束して未来へと視線を向けさせない。
 さて、「TARI TARI」における和奏の物語は、和奏がこのような過去の幻影と向き合うことで、母の死を克服する物語ではない。和奏は合唱部の活動に参加することによって、母の記憶をふたたび収集する作業をはじめる。それらの記憶は、断片的で散逸しており、けしてひとつの物語として再構築・回復しえない痕跡の集まりである。和奏は父から、母が残した未完成の楽譜をわたされ、それを完成させることを決意する。だが、未完成の楽譜はまひるの痕跡であり、楽譜のそこかしこに開いた穴は過去への想起ではもはや回復しえない。和奏の曲作りはすすまない。一方、合唱部の活動は続いていく。そして、まだ完成していない和奏の曲が来たる学園祭において歌われることが決定されるのである。
 いまや、和奏の曲づくりは亡き母の痕跡を掘り起こす作業ではなく、合唱部という活動における具体的な目的となる。和奏はまひるを想起することなしに、状況において作曲することを迫られる。しかし、彼女はこの状況についてむしろ肯定的であった。じっさい、“学園祭での思い出作り”という具体的な目標が設定されることによって、和奏の曲づくりは進んでいくのである。
 和奏の曲づくりが進むようになったひとつの契機は、教頭が和奏に語った、とあるまひるの記憶の断片である。その中で和奏は、まひるもまた状況において曲を作成していたということを知る。音を楽しむと書いて音楽という、いわばありきたりな音楽論が、ここでは決定的な意味をもつ。未完成の楽曲はまひるあるいは和奏という主体がつくるものではなく、言うなれば状況において生起した音たちが、まひるや和奏をとおして、楽曲となるのである。主体はその過程の中で音が生起する可能性の場となるのである。
 楽曲において音と音とのつながりは、それぞれの文化や伝統において一定の法則性があるにせよ、それ自体として本質的な意味があるわけではない。ある音がある音を本質的に支配するわけではなく、状況の全体性においてあるメロディが引用され、それにしたがって個々の音の偶然的な配置が決まる。同様に、過去を記憶することにおいても同じことがいえる。和奏は後悔を伴うエピソードそのものを克服したのではない。そもそも和奏を拘束していた過去のエピソードとエピソードを結び付けていた因果性そのものが、もはや意味を持たなくなるのだ。過去は現在を支配する鎖ではなく、現在と未来に応じて引用可能となる諸痕跡の場なのである。
 ゆえに、最終回が近づくにつれてまひるの幻影は消失する。和奏はもはや母を想起する必要はない。かわりに引用がある。彼女は現在の合唱部のなかまたちとともに「radiant melody」を歌うが、その曲には「心の旋律」のメロディが引用されている。和奏の父はまひるの遺影を持ち出し、校長はまひるの所属していた過去の合唱部の記念写真を持ち出す。まひるという過去は、まひるの願い、合唱部の記憶とともに、引用可能となった。そのことによって、和奏はまひるの幻影なしに、つまり過去に沈殿することなしに、またエピソードの因果性からはなれて、「まひるとともに」あることが出来たのである。
 
 さて、わたしたちは上の議論をもって、「けいおん!」には内面がない、という主張に反駁することができる。「死にゆく私」を語る「主体」なるものをもって「内面がある」とする古い議論をやめて、「主体」の位置を問い直すこと、「卒業(日常の終わり)」にある特別のエポック的意義を見出す歴史主義をやめて、出来事の連関についていまいちど問い直すことが必要なのである。わたしたちはそのことを、構造主義的批評だとかポスト構造主義的批評とよぶのではなかったか。