シルバー民主主義なるものは存在しない――Here is no such thing as Silver Democracy

 世の中には、存在しないものを存在すると言い張って社会を惑わす人たちが存在する。存在しない大量破壊兵器が存在すると主張した大統領は戦争を引き起こしたし、差別やハラスメントをこれからも続けていきたい人々は「キャンセルカルチャー」という存在しない文化が存在すると主張して、被害者の告発を無効化しようとしている。そして、日本の政治が目下の日本の社会問題に対して機能していない理由を「シルバー民主主義」なる造語によって説明しようとしている勢力についても、存在しないものを存在すると言い張って社会を惑わす人たちに分類することができるだろう。

 

 「シルバー民主主義」とは、少子高齢化の進展により有権者の多くが高齢者となり、その結果、高齢者にとって得になるような政治が行われ、若者や子供は置いてきぼりにされてしまう、という現象を表したものであるという。これによって世代間格差が広がり、若者は高齢者に搾取され続けることになる、とこの概念を提唱する者は主張する。「シルバー民主主義」の批判者は、この状態を打破するために、たとえば高齢者の票の重みを若者よりも小さくするような選挙制度改革を提案する。

 加齢はあらゆる人間に平等に訪れるとはいえ、このような高齢者の参政権を不合理に制限するような政策は反人権的であり、馬鹿げている。しかし、高齢者の参政制限は「優生思想」であるとして、「シルバー民主主義」論者を批判するのは、あまり有益ではないのではなかろうか。確かに常識的な目線からすると、高齢者を政治的に迫害し、高齢者のための政治を糾弾するのは、高齢者を「生きるに値しない生命」とみなしているかのように思える。しかし「シルバー民主主義」論者の言い分では、高齢者は「勝ち組」なのであって、高齢者の政治的な影響力を削減し若者に政治的優越性を与えるのは、いわば階級闘争として行われているのである。

 従って根本的な問題は、むしろ「シルバー民主主義」という概念そのものに起因する。世代間格差という事実認識が既に歪んでおり、前提が間違っているからこそ、それへの対策も間違ってしまっているのである。優生思想への警戒はもちろん大事だが、優生思想は歴史的にみれば右派だけではなく穏健な社会民主主義思想にも持ち込まれてきた。一方、以下で述べるように、「シルバー民主主義」批判は社会保障を否定する新自由主義的なロジックで構成されている。従って、ここで警戒すべきなのはむしろ新自由主義であろう。

 

 日本の選挙をみると、確かに若い世代の投票率は低い。それに加えて少子高齢化の進展により、投票者の多くが高齢者で占められているのは事実だ。しかしだからといって、近年の日本政治が高齢者に優しいとはいえない。年金はどんどん減額され、医療費負担も増えている。生活保護受給者の半分以上は高齢者であり、その割合は年々増え続けている。また65歳以上の4世帯に1世帯は貧困世帯である。乏しい年金で貯蓄もない状況では暮らしていけないので、低賃金労働に従事する高齢者も増えた。

 「シルバー民主主義」を批判する者は、高齢者の金融資産の多さを問題にする。しかしそうした金融資産は、一部の裕福な高齢者が溜め込んでいるにすぎない。資産は年月がたてばたつほど増え続ける。従って若者の資産持ちと高齢者の資産持ちを比較すれば、後者に軍配が上がるのは当然だ。しかし資産を持たない者は、若者も高齢者も変わらず貧困のままなのである。

 このような貧弱な社会保障は、現役世代にとっても他人事ではない。老後には2000万円の貯蓄が必要などと簡単に言われても困るのである。高齢者の年金や医療が保障されている世の中は、自分の将来の安心に繋がる。普通に考えれば「高齢者ばかり得しやがって」とは思わないだろう。数十年後のことなんて考えられない、という現役世代であっても、親の老後をどうするかは今すぐ考える必要がある問題だ。親に資産がなければ、高齢者の福祉がどんどんカットされ続ければ、結局は家族が面倒をみなければならないという世の中に逆戻りする。自民党的な「美しい国」ではそれが理想なのかもしれないが、現役世代の負担は大きくなる。親の面倒をみるために、自分の子供に十分な教育を与えてあげられないかもしれないのである。

 一方、高齢者世代にとっても、福祉の充実は自分事だけではない。十分な年金や医療介護制度によって自立できれば自分の子や孫への負担を軽減することができる。また子や孫のために、子育てや教育など若い世代への支援に関心がある高齢者も多いだろう。世代間格差や「シルバー民主主義」を主張する者は、人間はあらゆる世代を経験することや、血縁関係などを通した世代間の連帯意識への思考を欠いているといえる。ある意味では「今だけ自分の世代だけ」と一番考える人が多いのは、むしろ20代の若者世代なのではないか。親世代はまだ現役だし、現代では子供もまだ持たない人が多いからだ。家族の問題について様々な面で自分の力だけは立ち行かなくなって初めて、社会保障の重要さに気づく。

 ただ子供がいない若者であっても、年金や子育てが自分に関係ないという思考は直感的にも正しいとは思えない。実際、私も若い時からそのような考えは持ったことがなかった。なるほど税金のことを考えると憂鬱になるが、だからといって社会保障が充実していないのも困る。そこで考えるのは所得の再分配であって高齢者への憎悪ではない。だから「シルバー民主主義」の議論に即座に納得できてしまう人は、相当なエゴイストなのではなかろうか。

 この意味で、「シルバー民主主義」なる論は世代間の分断を招くだけと喝破した枝野幸男志位和夫は正しかった。必要なのは高齢者から現役世代への再分配ではなく、富裕層から中間・貧困層への再分配である。つまり富裕層の負担を増やし、貧困層の負担は減らし、ベーシックサービスとしての全世代型の社会保障を構築することに他ならない。

 

 「シルバー民主主義」論というのは結局のところ、そのようなシンプルな社会民主主義的解答を拒絶したい人たちの議論だと思う。高齢者の社会保障が削減されて気にならない人は、親が金持ちで年金を必要としない人や自分自身が富裕で老後資金を既に蓄えている人だろう。そういう人は、自分が社会保障を必要としないので他人のために負担をしたくないという新自由主義的な思考をしているにすぎない。「シルバー民主主義」論者はもっと若者向け政策を、と言うが、左派が主張する子育て政策の充実や大学無償化などを評価しない。ではどのような政策を望んでいるのかといえば、解雇規制緩和のような単なるネオリベ政策だったりする。

 参議院選挙も近づき、「シルバー民主主義」の打破を争点に持ち込んで政治を混乱させようとする者もまた増えてくるだろう。しかし選挙の争点はシンプルだ。これまで社会保障を削減し続け、「資産所得倍増」で富裕層をさらに富裕にする与党を支持するか、「生活安全保障」によって「くらしに希望が持てる」社会をつくる野党を支持するかである。

 高齢者に優しく若者に厳しい政治も高齢者に厳しく若者に優しい政治も存在しない。高齢者に優しい政治は結局は若者にも優しい政治になるだろうし、高齢者に厳しい政治は結局は若者にも厳しい政治になるだろう。若い世代には、世代間対立を煽るような言説に惑わされずに、自分や家族の人生、及び公共の事を冷静に考えた投票を望みたい。