セカイ系

セカイ系ってはじめは揶揄的な意味で使われてたと思うんだけど、いつのまにかセカイ系的な作品が時代性を表すものとして称揚されている状況ってどうよ。昨日のファウスト祭りで鈴木謙介氏がセカイ系について考察していたんだけれど、セカイ系とは①世界に生きることとは選択肢を繰り返し選び続けていくことにほかならない。②しかし、その選択肢は無限に開かれており、したがって未来は逆説的にカオスとなる。③そのため、「今その選択肢を選んでしまったこと」を宿命的・運命的なものとして自覚することにリアリティが発生する。④そして、その自覚は自分だけが持っている。という視点で語られた作品なのではないかということだった。うーん。この分析がおおよそ正しいとして、やっぱり説教臭いねえ。よくこの人が言っている「『こうして、地球上の生命は環境に適応しながら進化してきたのです。』というもの言いの説教臭さとなんだかわからない説得力*1」と同じくらい説教臭い。で、本当にセカイ系が同時代的な共感を得ているかというと疑問。ただセカイ系の構成的な語り口に説得力を感じちゃっているだけじゃないの?偉い批評家先生は、「セカイ系」の起源について考えるよりは、そういうところに危惧を持つべきだと思うんだが。

*1:実際はたまたま環境に適応していたやつがいきのこっただけで、環境に適応できなかった奴は絶滅してる。