3月1日の盧武鉉演説

http://milou.seesaa.net/article/2221064.html
これを読んですぐ連想したのが、
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20050128#p1
で取り上げたシュレーダー演説。訳者の方も書いているけど、この2つは1セットで考えるべきもののように思える。多少ナショナリズムが入っているものの、全体を通しての思想は盧武鉉の演説はシュレーダーのそれと同じである。過去を引きずらないこと。しかし、過去を記憶すること。そのとき、自由と民主主義をその根幹に置くこと。

日本の知性にもう一度訴えます。真実なる自己反省の土台の上に韓日間の感情的なしこりを取りのけ、傷口が癒えるようにするため、先立ってくれなければな りません。それこそが、先進国であると自負する日本の知性的な姿です。そうしなければ、過去の束縛から抜け出すことはできません。いくら経済力が強く、 軍備を強化したとしても、隣人の信頼を得て、国際社会の指導的国家となるのは難しいことです。

ドイツはそれをしました。そして、それだけの待遇を受けています。彼らは自ら真実を明らかにして謝罪し補償するという道徳的な決断を通じて、EUの主役
に乗り出すことができたのです。

この文言が正しいことは、ノルマンディーでの、また、アウシュビッツでのシュレーダーの演説とその反響を考えれば分かるだろう。
しかし、日本はどうか?小泉首相はこれを一蹴し、大手新聞は「反日」であるとして非難する。
なんか、「日本人」であることが恥ずかしくなってくるよね。