徴兵制に反対する作法

http://www.asahi.com/politics/update/1128/SEB200711280014.html
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批判するのは良いのだが、どうしてみんな「軍隊は教育機関では無い/徴兵制はコストがかかる」という軍オタみたいなロジック使うかなあ。
「軍事的活動が軍隊において本質的な任務であり、徴兵を行うことはその本質的な任務に支障をきたすから、徴兵は行われるべきではなく、まして青少年の教育という軍事的活動に関係がない目的でもって徴兵を主張することは、軍隊の本来任務を理解しておらず、お花畑である」という論理展開は、軍事ターム以外の文脈で軍事を語るべきでは無いといういかにも軍オタ的な信仰に基づくものであって、無論「徴兵は軍事的活動を阻害するので反対」ということ自体は筋が通っているのだが、まあ思っているほどこれを言っておけば徴兵制賛成論を一瞬で黙らせられる、単純な議論ではないよ、ということだけは言っておきたいと思う。つまり、軍事的観点において徴兵制が不合理であるとしても、経済的・教育的・社会的・政治的など、別のある特定の観点から見て徴兵制の導入が合理的である場合、それはその価値判断において徴兵制が合理的である、ということが可能なのである。徴兵制に限定しないならば、ある軍事的なメリットと社会的コストを比較したとき常に前者を選ぶのが自明だとするのは軍オタしかいないって分かるのに、なぜ徴兵制に関してはそれが自明であるといえるのか。やはり徴兵制の場合も例外なく価値判断の問題が含まれる、ということにしなければいけない。たとえば、軍事的・経済的にはコストが余計かかったとしても、これこれという教育効果のために徴兵制を導入すべきである、という議論に対して、軍事的なコストがかかるからそれは間違いである、という反論は、一見して分かるとおり議論の手法として正しくない。お前の考えているよりもっとコストはかかるし、メリットは小さいぞ、という反論なら分かる。ただ、たとえばこのイーストカントリー原知事はそこまで踏み込んだ具体的な話をしているわけでは無く、知事は何も言っていないにもかかわらず知事が有している軍事への認識はお花畑である、と決め付けたうえで徴兵制はコストかかるぜという批判(?)を行うのは、お前自分が軍事について分かっていることをアピールしたいだけちゃうんかという気がしなくも無い。なんだろう俺のこのエセリアリスト嫌い。ていうか軍オタ嫌い。
まあ、何故このようなことを言わなければいけないかというと、軍オタみたいな批判をする人は、知事の意図自体は否定していない場合が多いからである。つまり、「近頃の青少年は厳しく規律を教え込まなければいけない」という意図である。軍オタ的主張をして徴兵制に反対しているからといって安心していると、「徴兵制ではなく管理教育を強化」「徴兵制ではなく愛国心教育」という話になっていて、おいちょっと待てということになる。いわゆる左派にとって、この、幼稚園の頃の私がガダルカナル・タカ松尾伴内とこの知事で誰がどれだか区別がついていなかったことでおなじみの*1この知事の発言の問題点はやはり、「統計的には別に増えてもいない少年犯罪への恐怖とか俗流若者論を根拠に、青少年に奴隷的根性を叩き込ませようとすること」なのであって、徴兵制導入論はおまけに過ぎないと思う。あまりこう徴兵制を問題にしすぎると、「知事の本心は若者にもっと規律をということですからー(それは反対しないでしょ?)」とかワイドショーのコメンテーターに言われて憤死、という事態になるのである。
最近、「徴兵制に反対する左派」への批判というのが巧妙になってきていて、それはつまり軍事的観点からいえば徴兵制は不合理であるから少なくとも当分は採用される可能性が無く、ありえない可能性に対して過剰反応する左派は馬鹿である、というものだが、それへの再反論としては世の中軍事に関することは軍事タームだけで決まらねえというので事足りるのだが、当の左派が軍事タームだけで軍事を語ってしまうと(少なくともそう見えるような言い方をすると)、結局軍オタが喜ぶだけなのではないか思う。

*1:グレート義太夫とかは認識できてた