■「ニートのあした」宣言
http://d.hatena.ne.jp/asita211/20090212/1234430203
働いても「ニート」。
肉を食べても「ベジタリアン」。
スタバに行っても「ボイコット」。
不真面目?
いやいや、そんなことはない。
たぶん肉を食べる「ベジタリアン」は、肉を食べない「ベジタリアン」よりも、もっと肉食を断念する難しさをしっているし、イスラエル支援企業はボイコット!と言いながらスタバに行ってしまう「ボイコット」主義者は、いかにぼくたちが資本主義というシステムにがんじがらめになっているか考える機会を多くもてる。
■「壁の時代」の後で/中で
http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20090120/1232462385
ぼくたちは「壁」の時代に生きている。
だけど、"「壁」の時代"はぼくたちが「壁」を問題にするということでもある。
たとえば鳥は、自由に「壁」を越えられる。
でも、だからこそ鳥は「壁」があることに気づかない。
ぼくたちは簡単には「壁」を越えることはできない。
でも、それがゆえにぼくたちは「壁」の問題に気づくことができる。
「壁」があることは結論じゃない。出発点なのだ。
ぼくはカルデロンさん一家の「不法」滞在問題で、入管に怒りをもつ。
一方でぼくは、日本国のパスポートを捨てることはできない。
だけど、それは結論ではないと思う。
「声をあげ続ける事が大事」とか「ひとりひとりの小さな一歩がいつか大きな一歩に」とか、そういうことを言いたいのではない。そういうのも大事かもしれないけど、多分ちょっと違う。
単純に、「壁」を越えられないのに「壁」を問題にするのは間違っている、という考え方は変だ、ということ。
(おそらくそんな人はほとんどいないと思うが)「壁」を簡単に越えられる人は、「壁」が問題だとは思わないだろう。
「壁」を越えられないからこそ「壁」を問題にするのじゃないか。
だから、働いても「ニート」。
それは、ぼくたちが「ニート」でないことを問題にするということだ。
そこから出発するということだ。