南京事件と軍事のコスト

南京大虐殺における殺戮の簡略な分類
http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20110103/p1

■新たな「解釈否定論」?(補足;解釈否定派の「倒錯」について)
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20110105/p1

 一連の議論を読んで、奇しくもちょうど一年前に書いた次のような記事を思い出しました。

■軍事のコスト
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20100105/p1

ここで簡単に論じたのは、倫理的価値を軍事的合理性よりも優位におくことによって「軍事のコスト」を上昇させ、戦争の発生を抑止することが可能なはずである、ということです。そのような価値の序列をわれわれが共有していくためには、未来に起こりううる戦争だけでなく、過去に起こった戦争についても、その視点においてまなざされるべきなのです。
 亜門さんや青狐さんが論じているように、南京事件における「便衣兵狩り」は当時においても非合法であったし、許されざるものであったことは明白です。しかし、たとえ私たちが国際法に明るくなかったとしても、逃げた兵士を民間人もろとも区別せずに片っ端から捕まえて無裁判で殺していったという事実に対しては、直観的にいって虐殺と呼ぶしかないでしょう。よく知られているように、南京で便衣兵戦術が取られていたという記録はありません。しかし、たとえ便衣兵戦術が取られておりそれによって日本軍の安全保障や作戦に重大な影響を及ぼしていたとしても、「軍事的合理性」によって、軍民関係なく手当たり次第つかまえて殺すということについては、われわれは許してはなりません。青狐さんが強く主張するように、日本軍が侵略者であったという事実は重いのであり、その事実の前では、たとえどのような軍事的必然性があったとしても、そのなかで取られた日本軍による非人道的な行為については、道義的責任があることをはっきりと認識すべきであって、これを自覚していれば不毛な南京論争の7割がたはしなくてすむと思うのですが*1
 
 
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*1:もちろん、軍人あるいは軍事的オプションを問題解決の手段としてとっておきたい人にとっては、あまり喜ばしくない前提かもしれませんが。