抗日7君子事件

http://d.hatena.ne.jp/Jonah_2/20050420#p1
これを読んで、ゲッティンゲン7教授事件*1を思い出した。
もちろんハノーヴァー王国の後ろにはメッテルニヒ体制があるし、イギリスの影を見た人もいただろう。3月前期におけるドイツ自由主義は全国的なもので、それはある種の愛国主義ナショナリズムと密接に結びついていたのだけれど*2、けして体制とは結びついていなかった、という点において注目すべきところがある。他方でこの時期には急進派ブルシェンシャフトによるコッツェブー殺害事件などの行き過ぎた排外主義運動も見られるが、この2つは多分切り離せないんだろうなあと思っている。
ていうか、抗日7君子事件って、ゲッティンゲン7教授事件を意識してるんじゃないだろうか*3。根拠無いけど。現在の「愛国無罪」の文脈は良く分からないところがあるけれど、もしかするとある種の自由主義運動と結びついたものとして理解できなくも無いかもしれない。

*1:http://www.tabiken.com/history/doc/F/F266L100.HTM

*2:7人の中にグリム兄弟の名があることに注目せよ

*3:ちょうど100年前におこった事件だし