秘密基地
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成長の物語化の過程は、リアルタイムにおいても進行すると思います。実際にその事件によって成長するかどうかは、大長編ドラえもんにおけるのび太のように別問題だし、当然ある日突然大人になってしまったこの僕のルーツが、実はあの事件一つ一つにあった、なんてことはけして証明できないわけですが、にもかかわらず我々はそう認識してしまう。それが物語の根源だし、成長譚のリアリティはそこに求められるはず。でも、あまりにも事件と成長の関係がロジカルに結びつきすぎているとその話はリアリティを失う。元々それがリアルタイムであるか遡及的なものであるかに関わらず、それは論理ではなく信念の問題だから。で、『ネギま』は各イベントとネギの成長が、シナリオにおいてロジカルにリンクように読めるのだけれど、『エウレカ』の場合は必ずしもそう読めないのよね。まあ単に製作者側がテクニック的に小賢しいだけともいえるが、少なくとも差異化はすべきではないか。『ネギま』の悪口と『エウレカ』の擁護ですよ。