光市事件について―いらっしゃいませ

かつて、「俺は偉大なる素人様。学問については何もしらないが、世間知らずの専門家先生に素人ならではの解釈によって素晴らしい意見をしてやるからさあありがたがれ」という恥ずかしい言説が「世間的に」堂々とまかり通る分野がありまして、それは歴史学でした。これからは刑事裁判についてもそうなるらしいです。ドキドキですね。
ただ、ひとつ困ったことがあります。というのは、たとえば南京事件のような歴史事件の検証には、「刑事裁判の手法」が必要であるというのが「世間の声」でありますが、光市事件で明らかになった「世間の声」とは、刑事裁判の被告人は自分の主張を言ってはいけない、弁護もいらない、証拠の吟味もいらない、とりあえず吊るせ、なわけであって…………あれ?
…ってのはおいといてだ。ほんとに酷い話だと思うぞアレ。刑事裁判の仕組みとかその必要性が理解できない頭の悪さを、「自分は人情がある人間なので」っていうことで逃げられるのが問題なのか。ううむ。死刑になるかどうかは手続きに基づいて裁判官が決めることなのだけれど、死刑になったら「世間の声」にお墨付きを与えることになる(少なくともあの手の方々はそう解釈する)ので、本当に酷いことになる気がしてならない。