光市事件の弁護士つるし上げと歴史修正主義批判が一見近く見える件

てなことをうっかり思ってしまった。
被告側弁護士たちは次のように述べる。「被告人が冤罪を被る、また有罪だとしても不当に重い罪を着せられるということはあってはならない。そのために、刑事裁判における弁護というものはある。殺人罪傷害致死罪かは重要である。」それに対して、自称「一般人」たちは次のように述べる。「とりあえず二人殺したことに違いは無い。殺意の有無などそんなの関係ねえ。オーシャンパシフィックピース」無論、後者は刑事裁判の意義を全く理解していない暴論ではあるのだが、これを次のように置き換えるとどうなるか。「南京で日本は20万人も殺していない。せいぜい2万人だ。南京事件があったとしても、20万人と2万人ではやはり異なる。数の問題は重要だ」「数の問題ではない。虐殺をしたという事実こそが問題なのだ」
両者の論理は同じではないだろうか。いや、同じではないんだが。ただ、何でこんなこと言い出したかというと、過去ログ読み返していて、http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060307のコメント欄見てちょっとどきどきしたから。

しかし、刑罰はその程度によって異なるべきだということだと思うのです。もし犯罪者が不当に重い刑罰を科される、あるいは科されようとしたら、それについては声を上げるべきではないかということでしょう。

「不当に重い刑罰」の「不当」って、どうやって決めるんですか?虐殺したのは事実なんだから、結局は、他の事件との比較で量刑の妥当性を決めるわけでしょう。それって相対主義以外の何者でもないんですが。

文脈無視して読むといかにもアレっぽいわ。
ていうか、「同じじゃない」でいいよね?面倒だから論証はしないけど。
とはいえ、「お前は被害者に寄り添っていないんじゃないか」という批判に反駁しつつ、刑事裁判において手続的正義を貫くことの正当性を説得力ある方法で、しかも「いっぱんじん」様たちに「分かりやすく」説明するのは相当困難ではないかと思った。
まあ、別に歴史修正主義者で弁護団を批判する橋下みたいな人に対しては、「お前南京とかのときは刑事裁判なみの厳格性要求するけど当の刑事裁判については手続きとかどうでもいいことにするのな」って言えばいいと思うが、それはそれで不誠実なので。