「否定論」への「寛容」はありえない 

 インターネットがコミュニケーションのあり方を革命的に変容させるのだ!というITピューリタン的発想にはまったく組しないのだが、もし、インターネットがわれわれの生活世界におけるコミュニケーションに影響を与えているとするなら、それは、「無知」がますます言い訳として通用しなくなったということがあげられるかもしれない。誰でも簡単に情報にアクセスできることは、「無知」であることと「悪」であることの区別をつきにくくしている*1。たとえば、われわれは、専門的な研究会に出席したり、難解な学術書をいくつも読みこなしたりせずとも、1クリックで南京大虐殺があったということを知ることができる。また、その否定論が、いかにロジックとして稚拙であり、学問的な真剣さに事欠いているかを知ることができるのである。
 さらに、その否定論が打ち出す「南京問題」なるものが、いかに中国に対する蔑視感情と自民族中心的なナショナリズムを背景にしているか、ということも、われわれはインターネットによって知ることができる。またそれは南京大虐殺を少しでも調べようとしたとたん、いやがおうにも目に入ってくるものである。「わたしは差別感情など持っていないし、差別運動にも加担していない。ただ純粋に『学問的に』南京大虐殺は疑わしいと思っているのだ」と言うことが、このような「情報化」社会の中ではいかに欺瞞に満ちたものであるかということが一目瞭然となっている。
 もちろん、ネットの情報は疑わしく信用するに値しないという慎重な態度を取ったとしても*2南京大虐殺に関する学術的な著作の存在はネットで簡単に検索できるのであって、また書店に行かずとも購入することができる。

■強制と選択
http://d.hatena.ne.jp/toled/20100402/p1
侵略。植民地支配。土地調査事業。済州島4・3事件。朝鮮戦争。さまざまな経緯。ぼくは少しずつ学んできた。なに一つとして隠されていたものはなかった。 本屋に行ってごらん。図書館に行ってごらん。ネットで検索してごらん。事実は、手の届くところにある。きみが知らないのだとしたら、それはきみが選択したことだ。

 ところが、自分が無知でいるための言い訳として、現代思想が持ち出される。そもそも「過去」が実在するかどうかがどうとか。まったくお笑い種である。現在の歴史学現代思想によるところは大きい。だが、それが利用されるのは、保守的な「日常史」研究も含めて、「過去」を明らかにするためであり、「過去」と現在を結びつけるためである。「過去」と向き合わないことの言い訳に現代思想が使われるなら、それはもはや学問の名に値せず、ただの「悪」というべきだろう。
 
 「南京大虐殺が無いと思っている人の意見の存在を認めよ」という言説は*3、こうした「悪」を土壌にして生まれてくる。確かに、否定論を法規制すべきかどうかについては、議論が分かれている。そもそも南京大虐殺というのはわずか70年前の事件であって、今なお存命の生存者がいるのである。そのような人々にたいして否定論がどのような効果を持つかを考えれば、緊急避難的に否定論の発話そのものを禁止してしまうという手段はありうる。だが、「緊急避難」という発想を支持すべきかどうかという問題がある。また、他方でそのような法的規制自体が(ホロコースト否認論が規制されているドイツでホロコーストの相対化論がなくならないように)、否定論の発話可能性に対する保証にならんとも限らないのである。
 しかし、たとえ法規制に反対するとしても、それと「南京大虐殺が無いと思っている人の意見の存在を認める」ことの間には開きがある。これを一緒のものと考えてしまうことこそ、「悪」が悪であるゆえんである。つまり、彼の中では否定論は「子ども手当てに賛成か反対か」や「酢豚にパインは許せるかどうか」や「『酢豚にパインは許せるかどうか』という論争を許せるかどうか」のような、単なる「意見」のひとつでしかないのである*4
 ところが、「否定論」とはすなわち、「過去」の抹殺であり、われわれが有している倫理的な責任の否認である。ヴァイツゼッカーの有名な演説にもあるように「過去に目を閉ざす者は現在にも目を閉ざしている者」なのである。それに加えて、あらゆる否定論はそれ自体で排外主義を構成している。このような考えを、単なる(「思想の自由」の名の下に許されるべき)「意見」のひとつとして認めるべきではない*5。法律で規制するかどうかは別問題である。だが、いかなる場合においてもわれわれは、「否定論あるいは否定論者の存在を認める」と言ってはいけない。それは、もしかすると「寛容」をモットーとするリベラルな自己認識にとっては耐えられないことかもしれない。しかし、「否定論あるいは否定論者」への「寛容」はいっさい示すべきではない。示した時点で、それは大きな倫理的欠落とよぶべきものなのである。
 
関連

■なにをもって尊重というのか
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20081205/p1

*1:「無知」と「悪」の共犯関係については、「「永遠の嘘をついてくれ」――「美しい国」と「無法者」の華麗なデュエット」http://d.hatena.ne.jp/toled/20070726/1185459828を参照。

*2:そのような態度を「公平」にとる自信があるのならば。

*3:http://twitter.com/hazuma/status/11358225858

*4:こちらも参照。http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20100323/p1

*5:自分は「南京大虐殺」があったと思っているけど・・・というのはもちろん何の言い訳にもなっていない。