いわゆる「ボーイズクラブ」問題に寄せて

  昨年三月頃に明らかとなった呉座勇一氏による誹謗中傷事件の被害者に対して、これまで見るに堪えない激しい二次加害が行われている。その件に関して、考えていることをここでいくつかコメントしておくとともに、ジェンダーや他の差別問題に対してバックラッシュを行い、学問研究の風通しを悪くさせている醜いボーイズクラブ文化が一刻も早く消滅することを願っている。 

 

 被害者に対する二次加害は問題が発覚したときから続いていたが、それがより激しくなったのは、呉座氏の処分が明らかとなり、それが訴訟問題へと発展したときからだ。 

呉座勇一氏によれば、彼は昨年一月に常勤職への昇格の内定を日文研から受け取っていたが、三月の誹謗中傷事件ののち再審査が行われ、内定が取り消しになったという。また呉座氏はかかる事件について一ヶ月の停職処分も受けている。呉座氏は自身の行いや考え方が誤りであったことは認めつつ、この「処分」は不当に重く、また解雇権の濫用であるとして、停職処分の無効およびテニュア准教授の地位確認を求めて、日文研の運営母体である人間文化研究機構を提訴した。 

 呉座氏の停職処分及び内定取り消しが明らかになると、その内容に関して呉座氏への同情の声が集まった。しかし処分に対する批判は何故か、それを下した日文研側ではなく、誹謗中傷の被害者や誹謗中傷を批判した者たちへの攻撃となっていく。最も強く攻撃されているのは北村紗衣氏であり、また同氏も呼びかけ人の一人として名を連ねているオープンレター「女性差別的な文化を脱するために」である。 

 

 ここでいくつかコメントをしておきたい。呉座氏がどのような根拠でかかる処分および内定取り消しになったのか、日文研側は何も明らかにしていない。経緯についての資料は、今のところは一方の当事者である呉座氏の主観的かつ概要的な発信があるにすぎない。この時点で、処分の正当性や不当性を論評することはそもそも出来ないはずなのだ。呉座氏に対する処分が、若手研究者の労働問題に接続される可能性は十分にありうるが、事実が何一つ明らかになっていない以上、まだ「ありうる」という段階でしかない。日文研は公の機関であり、またこの件が他の若手研究者に影響を及ぼす可能性もあることから、日文研側はかかる経緯についてきちんと説明せよ、と要求するならわかるし、私も同意見である。しかし、現時点でそのような声はあまり大きく上がっているようには見えない。確かな事実というものが一切ないにかかわらず、憶測やこの件とは無関係の事例を持ち出すといった乏しい手持ちの武器で、呉座氏のテニュア取り消しについて、オープンな場で雄弁に語る大学関係者や法曹関係者が続出していることに私は戦慄する。そういうところだぞ、と思う。情報が少なくても、いろいろなことを想像して語りたくなるのは人間の常である。しかしなぜそれをオープンな場で語ってしまうのだろうか。せいぜい四、五人の気の知れた仲間内に留めておくことがなぜできないのか。そもそも「語る場」への無自覚さが、呉座氏が四〇〇〇人の前で公然と誹謗中傷を行ってしまった一因なのではないか。なぜそこから何も学んでいないのだろうか。 

 こうした無責任なおしゃべりは、無責任なオープンレターに対する陰謀論となって現れている。呉座氏がかかる「厳しい」処分を受けたのは、オープンレターのせいだというのである。しかしその根拠らしきものは、呉座氏が一時的に、自分の主観的判断とともにブログに載せていた処分理由が記された(?)書類の一部しかなく、しかもそれがどれだけの重みもっていたのかは全く分かっていない。 

 

 そもそもオープンレターの文面には、呉座氏に強い処分を与えよとは書かれていない。呉座氏のTwitterのログから明らかとなったのは、誹謗中傷の事実だけではなく、ミソジニーによって駆動するような誹謗中傷を楽しむ「ボーイズクラブ」が存在するということであった。その界隈には研究者や学術関係者も含まれており、ここで呉座氏が受ける処分が何であれ、本質的な解決にはならないと考えられていた。また、被害者に対する二次加害がはやくも行われていた。オープンレターはかかる状況を変えるために出されたものであることは文面から明らかである。「中傷や差別的発言を、「お決まりの遊び」として仲間うちで楽しむ文化」を享受してきた者たちの居心地が悪くなればなるほど、相対的に研究環境は改善されるだろう。 

 ところが、このオープンレターは呉座勇一の解職を企図して作成されたものだ、という陰謀論が存在する。それに伴い、オープンレターの署名を日文研に送った、呼びかけ人らが共謀して日文研に圧力をかけたなどという存在しない事実が既成事実となっている。もちろん日文研に対する抗議は個別にはあった。これだけの大きな誹謗中傷事件なのだから当然だろう。逆に日文研側から個別の被害者に対して確認があったケースもあったようだ。しかし、そうした個々の人間の意図を勝手に結びつけて、共謀関係に落とし込んでしまうことこそが陰謀論陰謀論たる所以なのである。 

 

 現在既成事実化しつつある、最も醜悪ともいうべき陰謀論は、「北村紗衣が呉座氏と和解したにもかかわず呉座氏をより強く罰するためにオープンレターを企画した」というものである。驚くべきことに、この説は全てが妄想と事実誤認で構成されているのだ*1。北村氏が呉座氏と和解したのは七月のことであり、オープンレターが発表されたときはまだ和解は成立していない。三月に呉座氏の謝罪があったのだから和解したのだろうと考えることこそ浅はかな思い込みなのである。もちろん「和解違反」という言葉を安易に使うこともできない。和解の内容は全く明らかになっていないし、明らかにすべき性質のものではない。もっとも常識的に考えれば、和解して以後に加害者が和解を反故にするような行動にでた場合は和解違反といえるだろうが。 

 オープンレター北村陰謀論のそれ以外の部分、つまり北村氏が呉座氏を強く罰する云々については全てが何ら根拠のない妄想の産物である。恐ろしいのは、このような妄想を少なからぬ研究者や法曹関係者が無責任にも前提にしているということなのである。 

  このような陰謀論を信じる者は、そもそも呉座氏による誹謗中傷自体を認めない傾向にある。誹謗中傷していないにもかかわらず厳しい処分が下されたということは、何らかの闇の勢力の圧力によるものに違いない、ということだろう。しかし呉座氏の誹謗中傷については本人も認めており、争われるべき事柄ではない。性差別以外の差別発言についても、呉座氏のTwitterアーカイブが残っているため、嶋理人氏が行なっているように、客観的に検証可能なのである。

researchmap.jp

アーカイブについては、日文研側も当然確認しているだろう。ところがボーイズクラブは感覚が麻痺しているので、差別や誹謗中傷をそれと認識できない。従って呉座氏に落ち度はなかったと主張することになる。問題なのは、過去ログを自分の目で確かめずに、そうしたボーイズクラブの意見だけを読んで、呉座氏は可哀想だと主張したがる野次馬が絶えないことである。当然ながら、そこには研究者も法曹関係者もいる。かれらがハラスメント事件の取り扱いについて自分の職場でも適切に扱えているのか不安で仕方がない。もちろん誰でも読める書かれた文章や、どちらか一方の主観が挟まらない公開の事実について、論評する自由はある。しかし、不確かな情報をもとに、あるいはそもそも一切の事実関係が分からぬ状況で、根拠のない論評をパブロフの犬のように公開のSNSでベラベラ喋るというのは、どこか感覚がおかしくなっているのではないか。 

 

 私はオープンレターが出たからといって、「日本のアカデミア、言論業界、メディア業界に根強く残る男性中心主義」が直ちに消滅するとは全く思ってはいない。しかしそうした男性中心主義からのバックラッシュ、二次加害を増幅させてしまっているのが、研究者や法曹関係者の無責任なSNSしぐさだと思っている。呉座氏の裁判は続いており、その過程で様々な事実が明らかになることだろう。なぜそれまで待てないのか。双方の主張が出揃ったあとで、仮にオープンレターが何らかの役割を果たしていたと判明したなら、そこで初めてあれこれ論評すればよいではないか。何を急ぐ必要があるのか。自分で妄想して、あるいは誰かの妄想を鵜呑みにして陰謀論を構築し二次加害に加担している暇があったら、自分自身の内なるボーイズクラブへの内省でもしていたほうが、多少なりともこれからの学問環境への貢献になるだろう。それもできない研究者や法曹関係者は、SNSをやめてしまえばよい。

*1:たとえばこの記事https://agora-web.jp/archives/2054771.htmlの末尾にある「北村紗衣氏が、呉座雄(ママ)一氏のツイッターの鍵アカウント(一部の人しか見られないアカウント)で批判されたことで、訴訟を起こすと呉座さんに通告しました。しかし、名誉毀損に該当しないので、弁護士を入れて和解していました。その後、北村氏自身が発起人になって、呉座氏を学界から追放しろという「オープンレター」を出していました。これは和解違反であり、法律的にも非常に大きな問題を含んでいます。」という一節は、これ自体が事実誤認と妄想に基づいており「法律的にも非常に大きな問題を含んでい」るといえよう。