七十二文字について(注:本文中に根拠を求めても無駄なことしか書いてません)

名辞は遺伝子なのかなあっつって。我々の認識における差異とか同質性は、遺伝子の差異とか同質性によって直接規定されていない−というか、遺伝子自体が、それらを規定する根拠をもたない−でしょ。さまざまな条件によってある事物をどのように区切るかは決まる。名辞はそうじゃない(と思う…自信ないけど)。ある名辞はある事物に一対一対応している(多分)。名辞のグループ分けが可能だとしても、それはいわばアリストテレス的な分類法(ま、要するに唯名論だし)のようなもので固定されている(と思う)。名辞は、72文字の一文字一文字の組み合わせに意味があるのではなくて、72文字それ自体がもつ意味作用が重要なんだと思う(おそらく)。そのような名辞の性質に対応しているのは遺伝子というよりは言語で、だからそもそもあの世界は少なくともモノにおいてはシニフィエシニフィアンの区別がない。ゆえに、「72文字」は名辞−言語のイデオロギー性というものがひどく誇張された形で反映された作品、と読んでいいんじゃないかしら?
話を振っといてアレですが、記号論を引っ張ってきてうんたらかんたらという話はあまりやりたくないよ。避けられないのかもしれないけど。