語りえないものを語るということ(予定)

アーレントデリダ
http://www.fragment-group.com/kiotanaka/criticism/52.html
さて、ジャック・デリダは、フロイトの上記の議論を参照しつつ、無意識の層に刻み込まれた消えない記憶の束、これを《痕跡》と呼びさらに複雑な考察を加えた。歴史の起源を、なんらかの具体的な出来事ではなく、この《痕跡》にあるとしたのだ。彼のこの徹底した歴史主義批判が示唆しているのは、歴史がいくら起源を事実に求めたところで、歴史が見出すのは、決まって身体の内側、おそらくは精神とでも呼ばれるべき場所に刻まれた《痕跡》であるということだ。歴史がさかのぼることができるのは、内側の《痕跡》までなのであって、けっして、傷そのもの、あるいは身体の外部で、もっと正確を期せば身体と外気が接触するそのちょうど間のところで繰り広げられた《出来事=他者》そのものにたどり着くことはできない(傷とは、内部を外部へと繋げる開口である)。歴史の探求とは、ふつう考えられているのとは逆に、外部へ向かう運動ではなく、徹頭徹尾、内部に向かう運動だということだ。ここでストア派の議論を引いておけば、歴史とは、過去についての現在である。同じく、なまなましい傷が過去であるとすれば、当たり前のことだが、痕跡とは、あくまで、過去についての現在なのである。
ジャック・デリダのこうした微妙かつ繊細な議論は、よくよく考えれば、アーレントの「忘却の穴」についての徹底的な批判になっていることを見逃してはならない(1)。彼が言いたいのは、アーレントがいくら資料を、あるいは民族を「忘却の穴」から守ったところで、すでに資料が語る内容、あるいは民族は、もっとも重要なことをつねに‐すでに忘れている、要するに、知らないということだ。すなわちそれは、傷痕が覆い隠した傷そのものであり、民族が覆い隠した個人的な体験である。アウシュビッツでは、ナチスによって《ユダヤ人》が迫害された以上のことが、ユダヤ人であるというだけで殺された《個人》に対して行なわれていたのである。だが、歴史家はそれを《ユダヤ人》の虐殺としてしか扱わないし、扱うことができない。こうした思考は、極端な言い方をすれば、結局はナチスと同じところに行き着くということを、歴史家はいつも忘れているし、しかも忘れていることに気づいていない。アーレントが恐れる「忘却の穴」よりも深い穴が、すでにいたるところに開いているのだ。

歴史学的認識の限界
http://homepage2.nifty.com/~islands/articles/uemura.html
一方,上村の認識論的懐疑は,本書『歴史家と母たち』ののちにホロコーストの証言可能性を扱った「凍てついた記憶」(『批評空間』II-4,1995年)において,高橋哲哉による岩崎稔批判(『現代思想』1994年10月)とともに「忘却の穴」を強調しながら,「証言不可能性」の方へと容赦なく進んでゆくだろう.

■『アウシュビッツの残りもの』4章「アルシーヴと証人」z.211-212 ジョルジュ・アガンベン
したがって、こんにちアウシュヴィッツについては語りえないということを主張している人々は、自分の主張にもっと慎重でなければならない。かれらが、アウシュヴィッツは比類のないできごとであり、そのできごとを前にすれば証人は語ることの不可能性の試練にみずからの言葉をなんらかの仕方でゆだねなければならないと言おうとしているのなら、かれらは正しい。しかし、比類のなさと語りえないことを結びつけることによって、アウシュヴィッツを言語活動から絶対的に隔絶された現実としているのなら、証言を成り立たせている語ることの不可能性と可能性のあいだを回教徒のもとで断ち切っているのなら、かれらは無自覚なままにナチスの身ぶりをまねていることになり、権力の奥義にひそかに加担していることになる。かれらの沈黙は収容所の住人たちにたいするSS隊員たちのあざけりに満ちた忠告のまねをする危険がある。レーヴィはその忠告を『沈んでしまった者と救い上げられた者』の冒頭で書き写している。

この戦争がどのように終わろうと、おまえたちとの戦争に勝ったのはこのわれわれだ。おまえたちのうちのだれも、生き残って証言をすることはないだろう。が、たとえだれかうまく生き延びることができた者がいたとしても、世間はその者の言うことを信じないだろう。歴史家が疑ったり、検討したり、研究したりすることはあるかもしれないが、確証は見つからないだろう。われわれがおまえたちもろとも証拠を破壊してしまうからだ。なにか証拠が残ったとしても、そしておまえたちのうちのだれかが生き残ったとしても、人々はおまえたちの語ることが途方もないことなので信じられないと言うだろう。(…)収容所の歴史を書くのは、このわれわれなのだ。(Levi 2,p.3)

■同z.221-222
じっさい、アウシュヴィッツという、証言することのできないものについて考えてみるとどうだろう。あわせて、証言することの絶対不可能性としての回教徒について考えてみるとどうだろう。もし証人が回教徒のために証言するなら、もしかれが話すことの不可能性を言葉にもたらすことに成功するなら―すなわち、もし回教徒が完全な証人として構成されるなら―、そのときには否定論はそれが拠りどころとしている当のものにおいて反駁されることになる。じっさい、回教徒においては、証言することの不可能性は、もはや単なる欠如ではなく、現実となっており、そのようなものとして現存している。もし生き残った者が証言するのがガス室アウシュヴィッツについてではなく、回教徒のためであるのなら、もしかれがあくまでも話すことの不可能性から出発してのみ話すなら、そのときにはかれの証言は否定されえない。アウシュヴィッツという、証言することのできないものは、絶対的にして反論の余地なく立証されるのである。

あとでまとめる。
(追記)
http://www.hirokiazuma.com/archives/000465.html
なんかちゃんと書こうと思ったことがばからしくなった。実感!

この戦争がどのように終わろうと、おまえたちとの戦争に勝ったのはこのわれわれだ。おまえたちのうちのだれも、生き残って証言をすることはないだろう。が、たとえだれかうまく生き延びることができた者がいたとしても、世間はその者の言うことを信じないだろう。歴史家が疑ったり、検討したり、研究したりすることはあるかもしれないが、確証は見つからないだろう。われわれがおまえたちもろとも証拠を破壊してしまうからだ。なにか証拠が残ったとしても、そしておまえたちのうちのだれかが生き残ったとしても、人々はおまえたちの語ることが途方もないことなので信じられないと言うだろう。(…)収容所の歴史を書くのは、このわれわれなのだ。(Levi 2,p.3)

で終わりじゃん。まさに「SS隊員たちのあざけりに満ちた忠告のまね」に過ぎない。