19世紀における左翼思想と歴史主義の連関について

歴史的に見て、当初から左翼思想は反ナショナリズムを標榜していたわけではない。1848年ドイツ革命について言えば、むしろその攻撃的ナショナリズム、ショーヴィズムの急先鋒に立っていたのが左翼であった。たとえばシュレスヴィヒ=ホルスタイン問題において、周辺諸国との戦争を避けるためデンマークとの大幅な妥協に応じたプロイセンを、フランクフルト国民議会の左派は「民族の裏切り者」として断罪し、徹底抗戦を主張する。そして、その先頭に立っていたのは、若きカール・マルクスの「新ライン新聞」である。また、マルクスの相棒フリードリヒ・エンゲルスは、チェック人が左翼主催の民族独立運動に消極的であったため、チェック人を「独立の資格無き劣等民族」と決め付けている。
ドイツ民族意識は、18世紀後半―19世紀初頭にゲーテなどの文学作品によってその支柱が形成され、ナポレオン戦争によって一気に国民運動化するが、その過程でドイツ・ロマン主義思想が成立する。この歪んだ*1思想はドイツ統一運動のみならず、その後の世界各国の国民主義を規定していく。アイザイア・バーリンは現代的なナショナリズムの直接の生みの親は政治的ドイツ・ロマン主義であると指摘している。このロマン主義思想―反普遍主義、反合理主義、反啓蒙主義―はまた19世紀の左翼思想、そしてマルクス主義のバックボーンとして存在するという事実は重視するべきだろう*2バーリンマルクスを19世紀イギリスのロマン主義者ベンジャミン・ディズレーリと比較してこう述べている。

一般的に言って、ディズレーリの神秘的保守思想も、マルクスの無階級社会という未来像も、当の二人からは検証可能な仮説、つまり誤り、訂正、修正の可能性があるもの、ましてや経験に照らして大きく修正する必要のある仮説とは見られていなかった。私がいわんとしているように、この二つの理論がかなりの程度、心理的必要性から発し、それに対する対応であるとすれば、仮説ではありえなかっただろう。その昨日は、第一義的に現実を記述ないし分析することではなく、むしろ自らを慰め、決意を強め、敗北と弱さを償い、もっぱらその理論の創始者の中に戦闘意欲をかき立てることにあった。ディズレーリは科学的研究の合理的方法に公然と嫌悪感を表明し、マルクスは自らの弁証法的目的論を科学的方法と同一視して、その結果、もっと客観的だがあまり社会を転換させることのない経験的技術を嫌うようになったが、それは私には、ともに同じ心理的な根から発しているように思われるのである。アイザイア・バーリン「ベンジャミン・ディズレーリとカール・マルクス」『思想と思想家(バーリン選集1)』岩波書店

この問題は、広義の歴史主義問題と結びつけて考えることが可能だ。つまり、「現実の記述」はある価値判断を左右するという、事実性と価値性を結びつけて考える思想の問題性である。これは左右を超えた問題だである。マックス・ウェーバーは価値自由を唱え、事実の記述からはどんな価値も生まれないと主張したが、19世紀から20世紀にかけて、このような考え方は残念ながら一般的だったとはいえない。社会進化論が西洋の植民地主義の肯定に用いられたように、歴史的事実や科学的法則がある政治的イデオロギーを担保するという事例が数多く存在する。現代ではどうか。http://d.hatena.ne.jp/gyodaikt/20040316#p2で紹介されているような事例ははたして一部の問題なのだろうか。

*1:というのは僕の価値判断である。ドイツ・ロマン主義において「ドイツ的」なるものの根拠は、ひとつにはゲーテなどの文学作品の裏にこめられた固有の精神であるそうだが、ロマン主義の文学者たちはハイネの詩を「非ドイツ的」であるとみなした。というのはハイネはユダヤ人だったからである。すなわち、ハイネは美しいドイツ語で、ドイツの美を詠った。しかし、それは表面的なもので、本質的には彼の詩はドイツ的ではないと。こういうエピソードは数多くあり、それらを読むとやはり僕はどうしてもロマン主義思想というものに肯定的な評価を与える気にはならないのだ。

*2:もちろん僕はマルクス主義の本質はロマン主義であるなどというようなことは言うつもりは無い