どうして逃げないの?

http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080228/1204229625
第二次世界大戦中、ホロコーストによって虐殺されたドイツ国内や周辺地域のユダヤ人たちは、何故さっさとアメリカなりへ亡命しなかったのだろうか? いずれはああいう目に遭うことがわかっていたはずだ。それなのに逃げようとせずに収容所へ送られ、殺されたのなら、それは彼らの選択の結果、自己責任ではないのか?

18世紀末、植民地主義の勃興期において、ドイツの思想家ヘルダーの文化相対主義は、それに対する痛烈なカウンターになっていた。西欧「文明」は非西欧「野蛮」に優越するという啓蒙主義的なヨーロッパ中心主義に対して、ヘルダーは各地方固有の神話・伝承を再評価し、それぞれの地方に根付いた文化・伝統はヨーロッパのそれに劣るものではないと述べ、現地文化・伝統の破壊や西欧文明の押し付けを批判した。『人類歴史哲学考』において、彼はこのように述べる。「いかなる樹木も、 他の木から空気を奪い、 成長を妨げるようなことがあってはならない。 …樹木は、 自分自身の場所をもたねばならない、 みずから発芽して根から高みへとのぼり、 その先端に美しい花を咲かせられるように。」
しかし19世紀になって、ヘルダーの文化相対主義は、差別の根拠として使われるようになった。彼らには彼らの文化があって我々のそれとは違う。とされ、教育や就職、政治参加に対して、現地住民は差別されたのである。20世紀には、移民に反対する根拠として、主にヨーロッパの極右政治団体が文化相対主義を持ち出す。そうだ、確かに彼らには彼らの、我々には我々の大事な文化がある。つまり、両者はひとつの社会で暮らすことはできないのだ。ゆえに、彼らには自分の国へお帰りいただくことが、お互いの幸せのためである。
なぜ「共存」の原理だったはずの文化相対主義が、排除のロジックになってしまったのだろう。ヘルダーが想定していたのは、それぞれの社会集団が各地に点在するような、広い世界であった。しかし、19世紀以降世界は一体化し、社会は究極的に見ればひとつである。そして、社会には様々な集団が住んでおり、外部は無い。あなたが社会において不適格なのは悪いことではない。だから逃げよ。というのは、だから国に帰れ、というのと異なるのだろうか?
手塚治虫の漫画『アドルフに告ぐ』において、主人公の一人アドルフ・カウフマンは、ヒトラー・ユーゲントのパトロール中に一人のユダヤ人の少女に恋をする。彼は彼女と彼女の家族を密かに亡命させようとするのだが、彼女の家族は財産を失うことの恐怖と政商である自分達が酷い目には会わないという楽観から戻ってきてしまう。そして、検挙が行われ、彼女の家族を移送しなければならなくなったとき、彼はこう叫ぶ。

「愚かなユダヤ人め。出ろ。もう、おしまいだ。ゲットーへ送ってやる。」

アドルフの発言は、ナチズムという狂気に犯されてしまったがゆえの特別な発言なのだろうか?たとえばいじめに見てみぬふりをする「空気」にこのようなものは無いか?かわいそうに。学校に来るからいじめられるんだ。はやく不登校になればいいのに!
つまり「逃げ場」を用意するということは、追い詰められた人だけだなく、追い詰めている人にとっても免罪符となるのだ。あいつらは逃げることもできた。しかし逃げなかった。ゆえに、いじめる、差別する、虐殺する。仕方の無いことではないか?私自身はいじめもしていないし、虐殺は非道だと思う。彼らには「逃げ場」があるのだから、私自身が何か助けようとすることは、彼らに対する「干渉」なのではないか。
この議論において注目すべきは、「逃げること」が既に社会のルールとして構造化されているということである。あなたには3つの選択肢があります……*1。文化的固有性が植民地主義の浸透によって自由を主張する場ではなく抑圧の道具となったように、「逃げ場」が社会の中に位置付けられることによって、そこはもう「逃げ場」ではなくなっているのだ*2
「逃げ場」が「逃げ場」では無いということはどういうことか。逃げるだけでは駄目だということである。

http://d.hatena.ne.jp/toled/20080408/p1
そしてまた彼らは、『マルチチュード 下 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス)』の中でドゥルーズの次の言葉を引用している。

逃げよ。だが逃げながら武器をつかめ。

そうだ。逃げることだ。だが逃走は闘争である。

「どうして逃げないの?」という問いの返答が、銃弾で無いとは限らないのである。

*1:http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51031057.html

*2:南アフリカに昔あったホームランドは黒人の「逃げ場」だったか?