経営学者様をナチス呼ばわりした記憶も、トリアージをナチスにたとえた記憶もない

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080812/p2
なんか当人が勝手にdisり逃げしようとしているので、一応まとめに入ります。
とりあえずぼくがdisられている根拠は、

の2点ですよね。
結局論証は無いらしいので言っておきますが、両方とも間違っています。というか、そんなことはしていません*1
あの、自分の文章を解釈することほど恥ずかしいことはないんですが、

これこそ経営学的には素晴らしい組織です。ユダヤ人がかわいそう?そんなこと言ってたら(最終的)解決しませんよ!偉大なるアーリア民族が貧窮してもいいんですか?というわけで、経営学の理想はナチス・ドイツだったのでした。

よく引用されるここですが、確かにこの部分だけだと、経営学とはすなわちナチスであると主張している文章にも読めますね。しかし、上を見てください。

さて、「限られたリソースを適切に分配すべきである」という言説について考えてみましょう。こんなこと当たり前です。はっきり言って、これ自体では何も言っていないのと同じです。問題は「適切な配分」とは何かです。

ちゃんと何を問題にしたいのか書いていますね。つまり、「適切な配分」に対する問題意識が彼には欠けているため(あるいはバイアス・欺瞞があるため)、彼のテクストを純論理的に解釈すれば、ナチスだって適切な組織となってしまうであろうと言っているわけです。これは、経営学が、ナチスのような組織を否定する体系をもちうることや、福耳先生が、ナチスのような組織は誤りであると考えているということを全く否定しません。
というか、これ以外の解釈ってできる?「経営学の理想はナチス・ドイツ」というのが、皮肉的な意味ではなく本来主張したいことであると取れば、「問題は「適切な配分」とは何かです。」の部分が浮いてしまうよね?上の部分と下の部分は全く別の話をしているのだと考えるよりは、素直に関連していると思って読むのが普通だと思いますよ。
次に。では何故ここでナチスが出てきているのかを説明します。
まず一連のエントリでぼくが主張していることは、福耳先生がトリアージをたとえに出して経営学を説明しようとしたのは誤りであること、「かわいそう」といった女子学生にも一定の正しさはあること、そして、ここが重要なのですが、福耳先生がトリアージをたとえに経営学を説明したという誤りは、単なる軽率ではなく、彼の思想そのものに内在しているということです。
トリアージナチスであるとは全く主張していないし、現実の医療におけるトリアージそのものも問題にはしていませんが、ただトリアージという概念はいくつかの危険を持っていると言っていて、それはたとえば3番目に示したようなホモ-サケルの問題であったり、生-権力の問題であったりするわけです。そしてこのような問題を説明するためにはナチスホロコーストが一つの重要な事例として現れてくるのはもちろん自明です。
よって、ナチストリアージの、少なくともアナロジーという意味での喩え話ではありません。
そして、いろいろな人が指摘したトリアージ経営学のたとえとして話すことでの問題は、このトリアージの「議論」(「行為」ではなく)そのものが持つ危険性をそのまま移植することから起きているのみならず、まさに彼の経営学にたいするある種の信念が、トリアージをたとえとして浮上せしめたということです*2
というわけで、ぼくの問題意識を理解していただけるのならば(共有しろとは言わないが)、ナチスを持ち出したのはまったく飛躍でも場違いでもないわけです。つまり、彼はぼくをdisる根拠を二つとも失うのであって、きちんとした反証が無いならば、HALTAN氏はぼくにたいするdisを全面的に取り下げていただきたいと思うわけです。謝れとは言いませんよ!読解力不足からはじまる「誤解」はしょうがない面もあるので。

*1:なんか福耳先生もナチスよばわりされたと思っていたようですがね!

*2:もちろん福耳先生がこうした問題を自覚して、日々それを克服するよう努力している可能性は否定しませんが、こちらとしてはテクストから読み取るしかありませんので