歴史主義について
歴史主義というキーワードについて、一言で述べることは難しい。この概念は、長年にわたってさまざまな論者がそれぞれバラバラの定義で用いてきたからだ。ここではとりあえず、19世紀後半のドイツで成立したそれに限定しよう。ドイツ歴史主義は、基本的には啓蒙主義的な歴史観に対抗して成立したといわれている。一般的な説明としては、形而上学的にではなく、実際はどうであったのかという実証的な見地から、歴史理解を目指していくという運動であるが、これだけでは歴史主義の本質を説明したことにはならない。僕の現状の理解から言えば、歴史主義とは啓蒙主義が「共時的な共通性(たとえば、人類は普遍的な理念に対して云々)」を重視するのにたいして、「通時的な共通性」(たとえば、それぞれの民族にはそれそれの歴史があり云々)を重視する立場であると思う。歴史主義の代表者としては、「近代歴史学の父」ランケが挙げられるだろう。彼は実証的な歴史研究の方法を確立する一方で、国家を歴史的に生起する一つの精神的集合体とみなし、啓蒙思想の合理主義的な国家観(「リヴァイアサン」みたいなやつね)を批判した。ランケの弟子であるドロイゼンやトライチュケはより政治的に先鋭化し、歴史主義の立場から「国民自由主義」の成立を目指した。また、歴史主義は法学と結びついて、歴史法学という新たなジャンルを生み出す。ローマ法学者のサヴィニーがその代表格で、彼は法というのはそれぞれの国の歴史・文化に依拠するので、ナポレオン法典をそのままドイツに適用することはできない。他文化の法を受容するときは、その条文だけでなく、その背後にある根源的な精神に遡って受容しなければいけないと主張した。経済学の分野ではリストがいて、1833年のドイツ関税同盟の成立に大きな役割を果たしたといわれている*1。
歴史主義は確かに、「人類は共通の目的に向かって進歩していく!」といった絶対的・決定論的な啓蒙主義に対して、歴史の相対性を主張したことは重要であった。しかし、他方で歴史主義は個性記述的な歴史を大事にしすぎるあまり、「文化」や「国家」や「民族」などのカテゴリーを絶対視してしまうという欠点がある。共時性と同様に、通時性もけして自明ではない。しかし、それに気づかない場合、結局は観念論的*2、決定論的な歴史観に陥ることになる。
例をあげよう。私たちがEUの話をしているとする。通貨統合や、ヨーロッパ統合軍の問題などについて論じ合っているとき、誰かイヤな人が突然やってきて、こう言うわけだ。
「ドイツとフランスは、歴史的に見てずっと仲が悪かったんだ。だから、EUだってすぐダメになるさ。」
冷静に考えれば、この論法はおかしい。ドイツとフランスが数多くの戦争を重ねてきたことは事実であるが、それぞれの戦争はそれぞれ別の政策的要因によって行われたはずであり、これらの政策的要因の間に共通する根源的な要因を見出さない限り、そしてその問題が解消されていないことを示さない限り、次もまた紛争が勃発するということは言えないはずだからである*3。ところが、こうした論法が意外に説得力をもってしまうことがある。(実際、低俗なEU批判の文脈でよく用いられる。)*4その誤謬が生まれる理由は、われわれが意識的にしろ、無意識的にしろ、「ドイツ」や「フランス」をそれぞれ独自の意志を持った、有機体的なものとしてみているか、でなければ「ドイツ」と「フランス」を喧嘩せしめるような「意志」を、歴史の背後に求めているかのどちらかだろうと思う*5。歴史的主体としての「ドイツ」「フランス」を設定することによって、カール5世とビスマルクは、またフランソワ1世とナポレオン3世は、一緒くたに統合されてしまうのである。
このように、歴史主義の理論は、現在の解釈あるいは将来に起こりうる事象を説明しようとするとき、正当性を与える道具としてよく用いられる。その典型的なものがたとえばナショナリズムであろう。ある国民の歴史的同質性を説明することは、国民国家を成立させるときに大きな政治的正当性を与えるのである。*6
乱暴なことを言えば、19世紀歴史主義とは、政治的な理由から普遍性=発展主義から、個性=発展主義へ形を変えただけで、単層的な歴史という点では結局同じであったのだろうと思う。確かに実証性を重視したという点では、近代歴史学の成立に大きく貢献しただろう。しかし、その実証主義的精神の多くは「事件史」あるいは上滑りのテクスト解釈のみに発揮され、実際の社会の深層にはほとんど踏み込んでこなかった。そんなわけで、20世紀に「構造史」や「社会史」の、重層的な歴史研究が盛んになると、歴史主義的歴史研究は猛烈な批判にさらされ、次第に衰退していく。
*1:あくまで方法論についてだけであるということは個人的に主張しておきたい。
*2:ランケはヘーゲルの弁証法的な歴史観を批判しているんだけどさ、あんたはどうよ。
*3:19-20世紀の独仏戦争に共通する要因のひとつはアルザス・ロレーヌの石炭であるが、これはヨーロッパ石炭鉄鋼共同体の設立によって解消されたといえる。
*4:EU推進者のル=ゴフ先生は、こうした論法の説得力をよくわかっているから、逆に「ヨーロッパ」の歴史的同質性を強調して対抗しようとしているが、それもどうか。
*5:表現の問題として、敢えてあたかも国家に人格があるような使い方をすることはあるけどね。
*6:歴史主義の成立がナポレオン戦争のあと、つまり、ドイツ国民運動の成立期と重なるということは理解しておかなくてはならない。