ヨーロッパの歴史―欧州共通歴史教科書

「ヨーロッパの歴史―欧州共通歴史教科書」は、ヨーロッパ統合の時代において、あらゆるEU諸国で共通に読まれるべき教科書として、フレデリック・ドルーシュ氏監修の下、12名の歴史家によって書かれ、1992年に出版されました。その後、改訂を繰り返し、現在では日本語*1含む12ヶ国語に翻訳されています。
最新の歴史学の成果を大胆に取り入れ、各国における評価はおおむね好評で、EU推奨の歴史教科書にも指定されました。
他方、副読本として用いられるケースはあるものの、現実としてこの教科書を採択する国はなく、また内容についても、まだまだ模索の途中ではあります。たとえば「ヨーロッパ史」の本であることを考慮したとても、叙述においてどうしてもヨーロッパ中心主義に偏ってしまっているという批判は否めない印象があります。逆に言えば、この教科書は歴史教科書から偏った視点を排除することの難しさを如実に表していると思います。
今回は、歴史教科書のあり方を考えるひとつの材料として、この「ヨーロッパの歴史」の序文を紹介します。
あらかじめ断っておきますが、僕はこの教科書のような、アジア共通の歴史教科書を編纂するべきだと主張するつもりはありません。ただし、「ヨーロッパの歴史」が、欧州には共通の土台があるからこそ可能だったのだ、という認識はあたらないでしょう。むしろそうした理路こそ、この教科書が克服しようとしているものに他ならないと思います。

序文
 本書は通常の教科書とは趣を異にします。もちろん歴史教科書ではありますが、国籍の異なる12名のヨーロッパ人歴史家たちが何度も討議を重ね、その上で共同執筆されたヨーロッパ史の教科書なのです。執筆者たちと私は、各国史を越えて(といって、それを否定するわけではありませんが)、ヨーロッパの歴史的冒険をより広い視野から眺める場があるはずだということを、ともに確信しています。私はたまたま、イギリス人と同時にフランス人として、さらにはノルウェー人として生まれました。これが、私に本書を企画立案させるに至った理由の一半であることは、ご理解いただけると思います。私は完全に一つの国に属していなかったため、しばしばイギリス人やフランス人の同級生たちから猜疑の目で見られたという体験を持っています。「百年戦争」、「スペイン継承戦争」あるいは「ナポレオン戦争」について、どちらの側に立てばよかったのでしょう?
 こうした素朴なナショナリズムは、いまや薄れつつあります。しかし反民主主義的目的にしばしば利用されてきた民族主義の激発や、もしくは国家主権が侵されると考えただけで一気に台頭する外国支配の恐怖と対抗するためには、もっと考えを先に進めなければなりません。ヨーロッパがその未来を模索している一方で、一言では説明しがたい何かが諸国民の歩み寄りを妨げているように思われます。それはつまり、それぞれに程度の差こそあれ、経済的利害、言語習慣、文化的伝統のことであり、同様に多くは非合理的な偏見のことでもあります。これらの偏見は強い生命力を持ち、家族の間で親から子へ伝えられていくだけでなく、それ以上に学校で教えられる歴史のいくつかの側面をとおして、広められるのです。
 誰もがごく自然に自国史から歴史を学び始めます。自国の歴史は国民一人ひとりにとってもっとも親密なものであり、国家の魂にして宝であると見なされてきました。しかし、国民という観念はたかだか数世紀の歴史を持つにすぎません。その確立に当たって、またときに国民意識の変質において、本質的役割を演じたのはしばしば教育でした。歴史は、かつて国家の建設において果たしたときに匹敵しうる役割を、今日のヨーロッパの建設において果たすことができるでしょうか?歴史は感性的な、同時に情熱をかきたてる規範です。歴史の助けを借りて、私たちは自らのルーツを探り、ルーツから生まれ、いまだにヨーロッパの一部につきまとう緊張を理解することができます。またそれだけでなく、ヨーロッパ人に共通するすべてのもの、ヨーロッパという語に一定の意味を与えるすべてのものを理解することができるのです。過去を振り返ることで、歴史は現在について、さらには未来について私たちに熟考を促します。
 ヨーロッパはいまだ、その構成員から十分に認知される機会を得ていません。本書を通じて、私たちは父母、教師、生徒、教育機関のみならず政策決定者にも次のことを考える場を提供したいのです。すなわち、歴史教育における国家的次元の傍らに、ヨーロッパ的次元をより組織的に導入することの是非についてです。
 4年来、私たちは最初のヨーロッパ史の教科書を誕生させるべくあらゆる努力を傾けました。国籍の異なる12名の執筆人による、12章からなる本書は様々なアプローチと文体を反映していますが、それは取りも直さず人為的な画一性の拒否と豊かな多様性の証左でもあります。太古の闇から現代までヨーロッパの歴史を380ページに凝縮させることは、取り組むべきテーマについて困難な選択を行うことを意味します。こうした選択について私たちの意見が一致をみたことは、まさしく今回の共同作業の中で最も実り豊かな局面でした。10か国以上で刊行される本書は、ヨーロッパのすべての国々で、さらにそれらを越えて世界中で読まれることになるでしょう。これこそ私たちの企画に、執筆者たちの多様性を補って余りある特別な場を与えるものです。
 本書は現在のカリキュラムや教科書に、有効かつ貴重な寄与をすることができると信じます。しかもまた、学校教育的なあらゆる配慮にもかかわらず、家庭のための書物でもあります。ヨーロッパを称揚するための宣伝文書ではありません。私たちはただ単に偏見を排して、知識と説明を探求しているにすぎません。民主主義国家は、その自国民を啓蒙強化する義務があります。19世紀のある作家が述べたように、「全知全能の神といえども過去は変えられない。それゆえ、神は歴史家を創造した」のです。ヨーロッパを理解するためには、私たち一人ひとりがささやかながら歴史家になる必要がるのです。
 本書の発案者として、私は私が信じる理念が実現されたことに大いなる満足を覚え、この企画に参加された方々全員に対して深甚な謝意を表します。12名の執筆者チームの熱意と頭脳がなければ、またマルク・モワンジョン、ジャック・モンタヴィル、フランソワーズ・ローラン、コリーヌ・ジュアナン諸氏、そして、「アジェット・エドュカシオン」社のスタッフ全員の方々の協力がなければ、私たちはこの冒険的事業に着手することができなかったでしょう。私たちはまったく新しいタイプの教科書を世に送り出しました。私たちの企画に加わったヨーロッパ各国の出版社に感謝します。2回の執筆者会議の費用にご協力いただいたEC委員会文化総局、(非常に莫大な)ヨーロッパ各国版の翻訳費用に関して多大のご配慮をいただいた、フランス文化省書籍部各位に対して厚くお礼を申し上げます。最後に、終始変わらず私を励まし、支えてくれた我が妻ディアーナへ感謝します。
フレデリック・ドルーシュ

*1:日本版の監修は、木村"ポワロとマープル"尚三郎氏。