「米兵が悪いのは当然として」って本当?

小田実だったと思うが、次のような主旨のことを言っていた。
市民がカリー中尉*1のような人物を非難しようとするとき、国家は裁判なりをして彼を切り捨てることで難を逃れようとする。もちろんカリー中尉の側にも言い分はあって、俺たちは国家のためにやったのだと主張するかもしれないが、その場合国家は、なるほどあなたたちにそうさせたのは国家かもしれないけれど、ではその国家(政府)を選んだのは誰ですかという話になって、結局市民の側に責任を押し付けられてしまう。そうではなくて、カリー中尉と市民の両方の側から国家を追い詰めていくことは出来ないだろうか。
沖縄の事件ももしかすると同じような話なのかもしれない。「米兵が悪いのは当然として」「少女にも責任が」の論法に何よりもまず違和感があるのは、みんなあまり指摘していないが、沖縄の事件で基地や安保に目を向けている人たちはそもそも「米兵が悪いのは当然として」っていうのに賛成してるの?というものだ*2
少なくとも、レイプした当人が全て悪いとして良しとする人はいないと思う*3。何故なら、もしそうだとすると「米兵個人」が悪いのであって、基地や安保を批判する根拠にはならないからだ。地位協定や米軍の体質、安保体制の仕組み、それらの下で成り立つ沖縄社会というもの、が問題になるのは、そこに事件が起きてしまった背景を見出すからであり、単なる狂ったレイプ犯の問題として片付けるべきではないという確信からである。
もちろん、こうした議論には常に、個々人の主体性を否定してしまうという危険性を持っている。しかし、犯罪を個人の責に帰しつつ、返す刀でその事件が起こってしまった背景にメスを入れることは、それ自体はなんら矛盾しない。
予想される反論としては、それは「少女にも責任が」の対ではないか、というものだろう。つまり

社会←→米兵←→少女
左派      右派

であって、どちらを問題にしているかという差に過ぎないということにはならないか。
しかし、少女の行動(夜の街を歩いていて米兵の誘いに乗った)と結果(レイプ)の間には、直接の因果関係は無い。そこに関係を見出し少女の責を問うには、その間に「社会」という媒介を通す必要がある。つまり、「不可避な犯罪」という概念である。それは、犯罪が起こってしまう社会を自明化することによって正統性を得る。冬山で寝たら凍死するのが当然なのと同様に、知らない人についていったらレイプされるのは当然であるのだ*4
つまり、模式図で言えばこうである。

米兵←→社会←→少女

「米兵が悪いのは当然として」「少女にも責任が」は、間にある社会の問題をスルーすることで成り立っている。被害者少女の視点から出発すれば、「米兵が悪いのは当然として」であり、米兵の視点から出発すれば「少女にも責任が」となる。まだ根強く存在する「それは単に自衛策の話をしているに過ぎない」という反論が、まさに象徴的である。なぜ自衛が必要か?そのような社会の体制は変わることが無いからだ*5
実は前回のエントリでいろいろ例を出したのは、この問題を指摘したかったからであった。ローザ・パークスが白人に席を譲らなかったから逮捕されたのは、ローザ・パークスが悪いのか警察が悪いのか。いろいろな視点でいろいろなことが言えるだろう。しかし本質は、その裏にある人種差別の構造が一番問題なのだ。
このような事件が発生したとき、重要なことは、そして今の日本に欠けていることは、小田実が言ったように、両方の側から真中にある社会を追求していく姿勢ではないかと思うのだ。

*1:ベトナム戦争における「ソンミの虐殺」を起こした部隊の指揮官

*2:逆に言えば、「米兵が悪いのは当然」ならなぜわざわざ「少女にも」と言わなければいけないのか。

*3:それは米兵の「非・人間」扱いへの拒否でもあると思うhttp://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080214/1202967224

*4:http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20080217「犯罪被害者が自らを責め、過去の自身の「無自覚さがとても不幸」と考える社会は間違っている、ということ。そのように犯罪被害者に、性犯罪の被害者に、考えさせてしまう現行の社会は間違っているし、その歴史的な背景を持つ間違った社会に加担する人間の、その無自覚は、あるいは性差別的な偏見は、とんでもないことでもある。」

*5:つまり、自衛の問題を単なるプラグマティックな問題として捉えるのは間違っている。自衛が大事というのを突き詰めれば、マイケル・ムーアが指摘したような要塞のような裕福層のコミュニティになるだろう。テクニカルな話は多くの人がしているのでここでは書かないが、とにかく、自衛の問題もやはり社会の問題と関わらざるを得ず、社会に触れず自衛の問題を強調すること自体、十分イデオロギー的であると言っておかなければいけない。