人生いろいろ、BIもいろいろ

http://d.hatena.ne.jp/repon/20080507
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080507/p1
月額20万のBIですか、大賛成。やりましょう。しかし病気になったり大学に行こうとしたりするとやはりきついので、ついでにぼくがあげた社会保障の充実もやりましょう。所得税60%ですか、素晴らしい。やりましょう。で、それをダンコーガイと議論するんでしたっけ。ダンコーガイ所得税60%に賛成するんですか。

・・・笑わないね。
このことに関しては珍しくid:inumashさんが正しいことを言っていて、すなわち

# 2008年05月07日 inumash inumash 社会 「再分配」を文字通り「金」で行うよりその分を「社会福祉制度の充実」に傾けたほうが費用対効果が良いよ、という話をしないと弾さんとかとは噛み合わなそうな印象。

なのです。しかし問題は何を「効果」とするのかという部分で、つまりただ「生きさせろ!」の手段としてBIを考えるか、それとも自己責任・自助努力といったものを覚えさせ、資本主義社会に適合させるための教育的効果としてBIを考えるか、つまり"Arbeit macht frei"の門をくぐって収容所に追い込むための貨車としてBIを考えるかで、「効果」というものは全く異なるわけです。reponさんやmojimojiさんやぼくは前者で、ダンコーガイは後者でしょう。

こういう制度なんですよ、ベーシックインカムって。

いや、ダンコーガイはそんな前提で議論してませんから!同じ名前の制度を別の前提で議論していたら、それは別の制度の話なんですよ。対立はBIと福祉の間にあるのではなくて、「正しくない人間」でも生きることができる制度と「正しい人間」を目指す限りにおいて生きることができる制度の間にあります。それで、ぼくは社会福祉の再分配のほうが資本主義にはプラスなんだぜなんてことは絶対に言うつもりはありませんから、まあ噛み合いませんね。で、別にダンコーガイとかみ合わなくてもいいんじゃないでしょうか。グローバル資本主義で利益を得ていない人に対してすら「啓蒙」は不可能だと言ったのはreponさんでしょう。まして利益を得ている人に対する「啓蒙」など可能であるわけがありません。歴史的に見ても、あのような手合いはギロチンにかけられる際になってはじめて事の重大さに気づくと相場が決まっているわけですから、それはもう仕方のないことなのです。もちろんそれはそれであんまりなので、ダンコーガイをきちんと説得するように頑張る。大いに結構ではないでしょうか。で、なんだっけ。「コップの中」でない「C層にも気持ちよく聞いてもらえる」「ゼロ年代の」議論をしなければいけないんでしたっけ。
mojimojiさんに対しては、まず社会福祉の「総和」の議論をしない限り、BIの導入がたとえ前提となってもそれはけして前進ではないと言っておきたいです。たとえば労働者のクビを切りやすくするなら失業給付の給付額と給付期間を増やす必要があるし(z.B.デンマーク)、生活保護の額を減らすなら、必要に応じた各種手当てで賄わなければいけません。逆に言えば、現在の日本のような貧弱な社会的再分配の中でBIを議論することにどれだけ意味があるのか、ということです。まず社会保障の総和を増やせと言うときに、その具体的な提案がすでに少なくともヨーロッパでは標準化されている各種社会保障ではなく、いまだ世界のどこでも行われていないBIである必要性は無い気がします。もちろんBI自体はその理念によってはやるべきだと考えるとしてもです。