「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書を読む2

前回は作る会教科書の序文における、歴史学的手法に対する誤解を招くような表現について指摘しました。さて、なぜそのようなことが書かれてしまったのでしょうか。
続きを読んでいきます。

 しかしそうなると、人によって、民族によって、時代によって、考え方や感じ方がそれぞれまったく異なっているので、これが事実だと簡単に一つの事実をくっきりえがき出すことは難しいということに気がつくであろう。

前回、われわれはこの文章の筆者は「事実=実際にあった出来事」と「価値=過去の人がどう考えていたか」をくっきり分けようと考えていることを発見しましたが、この文章ではその「事実」と「価値」の関係性について触れているようです。「事実」には、「いったいかくかくの事件はなぜおこったか、誰が死亡したためにどういう影響が生じたか」ということが含まれているが、それは「価値」に依存する。換言すれば、「価値」の数だけ「事実」が存在するということになる。
本当にそうでしょうか。たとえば、ある戦争の発生原因について、歴史学的に一定のコンセンサスが取れている、ということは勿論多くあるわけですが、この筆者にしてみれば、それはその戦争の当事者たちの「価値」が、皆同じであった、ということを意味するわけです。これは現実的な考え方でしょうか。価値が異なっても、同一の事実に達する場合もある?ならば、その場合とはいったいどのような場合なのでしょうか。一般的に考えて、なるほど「過去の人々がどのように考えていたか」を知ることは重要かもしれません。しかし、「過去の人々が考えていたこと」とというのは、また事実を知るためのひとつの材料にしか過ぎないのです。その意味で言えば、「過去の人々が考えていたこと」は、前回紹介した「比較史」の方法のような「現在の視点」と等価であるといえます。
では、「事実」が完全に「価値」に依存してしまう場合というのは、どのような場合でしょうか。それは、「過去の人々が考えていたこと」に、自身の視点を同一化するような場合であります。過去の事象を「過去の人々が考えていたように」見ること。しかし、これらは歴史学の手法のひとつとして当たり前のことでもあります。重要なのは、「その地点から一歩も動かないこと」です。この場合ならば、「過去の事実」とは「過去の人々が考えていたこと」でしかあり得ないわけですから、確かに事実は多様なものになるでしょう。それは、次の段落にもよく表れています。

ジョージ・ワシントンは、アメリカがイギリスから独立戦争(1775〜1783)で独立を勝ちえたときの総司令官であり、合衆国の初代大統領であった。アメリカにとっては建国の偉人である。しかし戦争に敗れてアメリカという植民地を失ったイギリスにとっては、必ずしも偉人ではない。イギリスの歴史教科書には、今でもワシントンの名前が書かれていないものや、独立軍が反乱軍として扱われているものもある。

ここを、わりとトリビア的に読んでしまった人も多いのではないでしょうか。この教科書は単純な「事実」としての間違いが多すぎるのでアレですが、まあここに書かれていることはとりあえず事実としておきましょう。しかし、この文章には重要な問題が存在するのです。ひとつは、「叙述」と「歴史観」の混同です。
「独立軍」と「反乱軍」、「建国の偉人」と「反逆者」、これらは確かに同じ物事を別の側面から見たものです。叙述するときは、もちろんどちらかを書かなければいけない。イギリスでは当然イギリス史を中心に学ぶでしょうし、アメリカでは当然アメリカ史を中心に学ぶでしょうから、そこは「当時の人々の視点で」叙述が分かれる、というのはわかります。しかし、それによって過去の事実が変わるということがあるのでしょうか?ワシントンが「英雄」であったときと、「反逆者」であったときにおいて、「いったいかくかくの事件はなぜおこったか、誰が死亡したためにどういう影響が生じたか」ということに対する見解がわかれるでしょうか?「独立軍」と「反乱軍」の差異は、名誉革命啓蒙思想、資本主義などの、アメリカ独立革命に対する影響をめぐる論争に何か影響があるのでしょうか?ひょっとしたらあるかもしれない。しかし、歴史学的に言えば、この例は歴史的事実の多様性を主張する事例としては不適切でしょう。第2の問題は、さっきは「人によって、民族によって、時代によって」と、価値の多元性をより強めるようなことを言っておきながら、ここではそれを単に「国家」の問題にしてしまっているところです。だいいち、「反乱軍」というのは必ずネガティヴなタームとして捉えられるとは限らないわけです。たとえば、アメリカ植民地の「反乱」をアイルランド人が、スコットランド人が、ウェールズ人が、どう聞いたか?ということを考えてみればよいでしょう。あるいは、現在の北アイルランド人やスコットランド人がこの教科書をどう読むか?*1こう考えていけば、「価値」に依存するために発生する「事実」の多様性の例を、教科書の叙述に還元させてしまうこの著者が、一番「事実」の多様性にたいして鈍感である、ということがわかると思います。
ここも、「歴史を学ぶことは過去の人間が考えていたことにコミットすることである」で読めば、わかりやすくなります。イギリス人は過去のイギリス人の価値観で教科書を読むのでワシントン憎しになり、アメリカ人はワシントンを賞賛するということなのでしょう。しかし、忘れてはいけないのは、先に述べたアイルランド人やスコットランド人のことです。この著者は、彼らも当然イギリス的価値によって読むことを考えている?
ここで、我々は「歴史」が「物語」として、国民の動員に使われたという「歴史的事実」を考えずにはいられません。この著者は、歴史にそのような「物語性」を期待しているのでしょうか。
さて、次の文はとても難解です。

歴史は民族によって、それぞれ異なって当然かもしれない。国の数だけ歴史があっても、少しも不思議ではないのかもしれない。個人によっても、時代によっても、歴史は動き、一定ではない。しかしそうなると、気持ちが落ち着かず、不安になるであろう。だが、だからこそ歴史を学ぶのだともいえる。

「個人によっても、時代によっても、歴史は動き、一定ではない。」これがよくわかりません。さっきも「時代」という言葉がありましたが、素直に読めば時代によって「価値」は変わり、よって、歴史的事実も変わるということを言いたいのでしょうが、よく考えれば、それは結局「過去」の価値観で「過去」を裁くことに他ならないではないか(笑)。ならば、「現代固有」の「価値」によって、歴史を見ることもまた正しいといえます。なぜこの著者は「現代の基準」で歴史を判断することを執拗に排除しようとするのでしょうか?
ここで、再び問題にしなければならないのは、「現代の基準が入らない歴史読解はありえない」というカーの言葉です。考えてみれば、「歴史を学ぶとは過去の人々の考え方で歴史を見ること」というのもひとつの「価値観」です。しかも、「過去の人々の価値観」とは、「現代から見た過去の人々の価値観」でしかありえません。その意味では、この著者は「現代の価値観で歴史を見よう」と言っているに他ならないのです。では、著者が排除しようとしている「現代の基準」とは何か?それは、彼に都合が悪い「基準」以外に考えられないでしょう。それをカモフラージュするために、まず彼は事実と価値を分割してみせ、「価値」の基準を一様にした上で(過去の価値観!)、二つをまた結合するのです。しかし、完全に「現代の基準」自体は排除できないと彼もまた知っているからこそ、「現代の基準」を排除するための論証が、著者にとって都合のいい状況を仮定することでしかできなかったのではないでしょうか?
文章は、こう締めくくられています。

歴史を固定的に、動かないもののように考えるのをやめよう。歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよう。歴史を自由な、とらわれのない目で眺め、数多くの見方を重ねて、じっくり事実を確かめるようにしよう。

さて、皆さん最初の文章を覚えているでしょうか。

 歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだと考えている人がおそらく多いだろう。しかし、必ずしもそうではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことなのである。

明らかに矛盾しています。「歴史を自由な、とらわれのない目で眺め、数多くの見方を重ねて」というのは、はじめて出てきたフレーズです。それまで彼は、「過去の人がどう考えていたか」を中心にした、「歴史の見方」しか、われわれに提出していないのです。この文章が教科書の序文として要請していることは、自由といっておきながら、結局は「われわれが考えた過去の人々の価値観」を学び、そこにコミットせよ以上のことは無いのです。これは明らかな誘導と言えるのではないでしょうか?この序文からわかるこの教科書のコンセプトは、これは歴史学の常識とはまったく無縁の、子供たちをある価値観に動員するための教科書である、ということです。(つづく、かも)

*1:答えはすでに出ている。「人によって違う」(笑)。